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2010年09月25日

●尖閣諸島の事件について。

経緯は省き、所感のみ書きます。
もともとTwitterに書いたものを、若干修正・補筆したものです。

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今回の尖閣諸島における一連の事件と、それに対する政府の処置について
看過するに忍びなく、筆を取りました。

ここではっきり表明しますが、僕は現在使われている意味での「民族主義者」ではありません。

美しい山河に恵まれ、先達の叡智と矜持によって営々と築き上げられた文化を持ち、
謙譲の美徳と誠意を持った優しい人々が住む故郷を愛しているだけです。

勿論、この国はそんな綺麗な部分だけじゃないことは知っています。
ただ、叶うならその美しい伝統を次代に送る一人でありたい のです。

世界が融和し、人々を隔てる壁が無くなることは理想です。
しかし、事そこに至っても、自らのアイデンティティと故郷は不可分の関係として残ると思います。
個々人の言語や思考、生活態様はその生活環境に強く影響を受けますし、
その生活環境は、其々の地において、数百年・数千年の時を経て最適化されてきたものだからです。
好むと好まざるに関わらず、人の有り様は、その人が踏みしめる大地に拠る部分があるのです。

戦争は愛国心が招くのではありません。
僕は、愛国心が曲解され、腐敗した一現象である強欲と
歪んだ民族への自尊が生んだレイシズムが原因だと考えます。

実際には、戦争を避ける為には、矜持と自己愛が必要です。
自らを誇り、自己を確立してこそ、他者と向き合えると思うのです。
自信の無さは、卑屈さや、その裏返しの尊大さを導きます。
そんな姿勢で、向き合うべき人々と真っ直ぐ話すことなど、出来ないのですから。

EUやユーロなどに見られる、ヨーロッパのユートピア的な価値観とその具体的な試みも、
民族自決の時代を経たからこそ、はじめてその端緒に辿りつくことが出来た筈です。

自らの矜持を堕しておいて、何の融和でしょう。何の友好でしょう。
そんなもの、諂いでしかない。
正義の無いところに真の友情なんて育たない。
相手の過ちを指摘出来ない友情など、どこを信じることが出来るでしょうか。

以前から主張しているのですが
政治を志す者はそのスタンスを問わず愛国者であるべきです。
そうでなければ、国民への真の奉仕は出来ないからです。
保守とか革新とか、右派だとか左派だとか、その手前の絶対条件です。

国を売って民を救うことなど出来ません。
国を売られた民が、どうして自分を誇ることができるでしょう。
先達の築き上げた歴史に報い、未来に資することで
人は自身のアイデンティティに誇りを持てると思うのです。
私たちは、命のバトンをリレーしてきた、千年の選手の一人なのです。
例えば幕末の志士達の残した言葉に。
或いは「きけ わだつみのこえ」に残された学徒兵の言葉に。
素晴らしい実績を残したスポーツ選手の言葉に、なぜ心が震えるか。
私たちは、一所懸命に生きることを、本能的に欲しているからだと思います。
誇りを持ち、輝くことに、本能的に憧れるからだと思います。

ワールドカップサッカーで、様々な国の人々がたたかう。
オリンピックで、様々な国の人々が競い合う。
それで諍いは起きません。勿論まったく、とは言いませんが。
それでも多くの人々が自国選手の活躍に熱狂し、
全ての選手への健闘を称えるのではないでしょうか。
正しい愛国心とは、そのように健全なものです。

例えば、現在の対中経済への影響を懸念する人がいます。
しかし、経済はどんなに長くとも50年から60年のタームでしか考えられません。
一方で、国の在り方や近隣諸邦との外交は
百年を以って一日とし、万年を以って一年とするような大計が必要です。
その国の在り方に、その国に生きる人々の生活環境は築かれるのですから。

総理も外相も国内に居ない状態で、況や地方の法務官吏の判断を
内閣官房が了とする、と発表するような、そんな軽いものではないと思うのです。
事の重大性を軽んじ、余りにも主体性を欠いた判断を下した現政権に
僕は心から絶望します。

今回のことで、日本と、日本に生きる人々が喪ったものは余りに大きいと考えます。
そのことを心から悔み、哀しみが胸を満たすことを禁じ得ません。