人間は、記憶や想像で
自らの精神や肉体までにも影響できる、稀有な生物です。
既に終わったことなのに、それをいつまでも悩んだり、
有りもしない想像でストレスを溜めるなんてことをしてしまいます。
僕のある知人は、お客さんの所に伺う前に
「今日はあのお客、こんなこと言うだろうな。あんなこと言われるだろうな。
でもそれって、そっちのせいじゃんか!許せねぇ!」…などと
ただの予想で腹を立てたりしていましたね。
傍観していると、もう殆どコントなんですが
人のことを笑えるほど、僕は上等な出来ではなくて。
10年以上も前の出来事を思い出して気分が悪くなったり
既に終わったことを態々自分の中で蒸し返して苛立ったりしてしまいます。
それは、時間しか解決できない問題で
少しずつ風化して、少しずつ意識の外へ遠ざかっていき
いつか忘れることだと思うのですが
子供の頃の記憶ならまだしも、大人になってからのそれはなかなか時間が掛かります。
質が悪いのは、なんの意識もしていない時に
不意にその思考のきっかけが飛び込んでくること。
それはある街の通りだったり、見かけた写真だったり、流れてきた音楽だったり…。
それらは当然制御できるものでは無いですから難しい。
年々、時間の経過は加速していくのですが
意識の成長がそれに追いついていないなと感じます。
何か僕の生活環境に、コペルニクス的転回があれば変わるのかもしれませんね。
いま、社会では(特に東日本では)
目に見えない、得体の知れないものに恐怖し、ストレスを溜めている人がたくさん居ます。
その結果、とても感情的になったり、あまつさえ他者を激しく攻撃する人が居ます。
意識するが故に、大きな苦痛を抱えているその姿を痛ましく思いますが
不安に対抗するには、きちんと知る努力と、
得た知識の上でしっかり思考することが大切だと思います。
恐らく科学とは
得体の知れないものを理解し、不安を拭い、健康な意識と思考を獲得するために
進化していくものだと思うのです。
対人的なものは、相手の意識や思考を完全に把握することは出来ませんから
思考や予測には限界がありますが
そうでないもの…言い換えれば、思考することで対処できるものならば
出来れば冷静に判断して、精神的な衛生を保ちたいなと思います。