昨日、久しぶりに庭の草むしり(ほっといたから草ボーボー)とか
テラスのカフェテーブルの掃除(ほっといたからホコリだらけ)とかしてたら
今日は鬼のような筋肉痛ですよ。
あー、運動不足。
ちなみに、こういう時によく使う「鬼のように」って
考えたら表現がおかしいよね。
鬼はそんなにはならんだろ。あはは。
【25:40追記】
そう言えば書こう書こうと思って忘れていたのですが、僕がDJをやっている
FM Salus(84.1MHz / 神奈川県横浜市)がパーソナリティを募集中です。
興味のある方はレッツトライ!(←言い方が古い。)
14年間大手メディアでやってきたけど、コミュニティ放送も存外楽しいものです。
因みに僕は前回の募集に応募したですよ。
興味のある方は下の画像をクリック!
遂にランボを購入しました!
1970年代中期の第一期スーパーカーブーム。
その洗礼を受けたのは、余りにも感受性豊かな6歳の頃でした。
以来30年。
多くの同志が、現実という言い訳で戦列を離れても
僕は決して夢を諦めませんでした。
アウトモビリ・ランボルギーニ・ガヤルド。
憧れのガンディーニではなく、ドンカーヴォルケのデザインになっても
V12ではなく、アウディの手が入ったV10であっても
ガヤルドは僕にとって一生の自動車生活の最後の夢でした。
そのガヤルドを、
遂に購入しました。
これで僕も、真のエンスージァストに成れます。
ドンキで780円でした。
中国製。
早くホンモノが欲しい・・・。
それは馬鹿なのか、狂気なのか、それ以外なのか。
まぁ、日本列島だけで1億人以上の人間がいるんだから、
その中にはとんでもなく利口な人も居れば、想像を絶するバカがいても間違いじゃないが。
昨年、長野は諏訪湖周辺で9件の放火を繰り返した「くまぇり」こと平田某。
逮捕の当日にお巡りさん引き連れてSPA!の素人グラビアの撮影に来てみたり(その後逮捕)、
留置場で自殺未遂図ったり。
或いはそのSPA!の撮影に、二の腕に刺青を入れたまま来てみたり、
グラビアアイドル志望にも関わらず、自身のブログでヌード写真を撒き散らかしてみたり、
風俗嬢だったことや整形暦を書いてしまう。
自己の律し方に著しく難がある人間だな、と思っていたら、
本日出た地裁判決(懲役10年。求刑は同13年。)の約3週間前に、雑誌「創」に獄中手記を寄せたらしい。
その文面を未だ全て見た訳ではないが、この記事やこの記事を読むにつけ、このバカは
尋常ならざるレベルに達しているなと思った。
曰く
「『あなたにたいほ状が出てます』と言われたときは天と地が逆さになりました。」
「SPA!はまだ見てないんですよ。自分ののっているざっしやしんぶんも一回も見たことないんです。」
「自分のわがままでこんなことになってしまった」
「一番楽しみたい20代を刑務所で過ごさないといけない。なんかもう気がぬけて
人生おわったと思っています。本当人生おわりです」
・・・アタマ痛い。
自分の目標と、そこに到る為の手段が全く乖離している。
また、自分が自身の意志で行ったこととそれによって得た結果への評価も乖離している。
アイドルになりたい→だからブログ。までは理解できるのだが、
一般的に考えて刺青や風俗や整形は、例え其れが事実であっても露出すべき情報じゃない。
ましてや、自分でハダカを撮影してブログに載せる、という行為に至っては、
彼女は一体アイドルをどんな仕事として認識していたのかさえ判らなくなってしまう。
もし彼女が獄中で夏川純の年齢詐称の騒ぎを知ったら、どのように受け止めるのだろう?
また、放火にしても同じこと。
仮にこれが自己顕示欲の発露(火事情報をブログに載せる→注目を集める)だったとして、
それがWeb上での訴求力を高めるものではない、という一見当たり前の事実さえ
おそらく彼女は認識できていなかったであろうことも類推される。
最後に、獄中から発したメッセージの中味。
何故、放火という行為の起因点を「わがまま」と表現できるのか。
何故、逮捕状を青天の霹靂のごとく感じてしまうのか。
何故、逮捕されたその直前に撮影された雑誌のグラビア(?)に興味が持てるのか。
そして、何故自身の行為に起因する報いに対して「一番楽しみたい20代」「人生終わり」等と
被害者のような視点で表現できるのか。
人間社会を「自己」・「他者」・「行為」・「結果」という軸で構成される空間と考えた場合、
彼女はその空間識が完全に混乱している。
いや、理解できていないと考えた方が正しいだろうか。
例えば、大教大付属池田小学校で大量殺人を起こした宅間某は、その凶悪性や死刑執行を望む
異常性から常軌を逸した精神性の持ち主であることは間違いないが、
その彼にしたって、自身が社会不適合者であるとの認識があったことが推測できるし、
「自分を不適合としている社会に対する復讐行為」として、最後の凶行に及んでいる。
異常な自己中心性を踏まえても、社会における空間識は持っていたと考えられるのだ。
(もちろんこの場合の空間識は、彼の行為を肯定するものでは一切ない。)
例え行為が犯罪であったとしても、それが人間の行為である以上、
(そこに至る精神性は別として)因果関係は類推できる、と僕は考えていた。
ところが、この21歳のアイドル志望には、その類推が成立しないところに恐怖を感じる。
これは単なる馬鹿なのか、或いは狂気なのか。
そのいずれにも属さないメンタリティなのか。
この事件は、個人と社会の契約(倫理以前のものとしての)が崩壊していることを
示唆するものなのかもしれない。
これって、考えたら物凄く怖いことじゃないのかな。
もうちょっと考えてみたいと思う。
本日の渋谷リポート+おまけ。
・本日から新年度スタート。朝の渋谷には、うようよと新入社員がカタマリで存在。
襟章を見たら、みんな東急グループの社員。
はー、やっぱり大企業グループは新人の数もスゴイね。
・一方、夕方の渋谷、ハチ公前交差点辺りで広告ティッシュを配っている人の中に
今は懐かしいTOM☆CATのTOM(代表作「ふられ気分でRock’n’Roll」)にそっくりな人がいた。
一瞬本人か!?と色めき立ったが、よく見たらオトコだった。
第一、TOMだって20年以上前とおんなじ格好してる筈もないよなー。
【本日のおまけ】
これ、超欲しい。
しかし月収5万円(小遣い制)の俺にはチト辛い金額だね…。
仮面ライダー・ショッカー幹部パーティワインセット