Youtubeに日本語版は必要なの?

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何が使いやすくなったのかが判らなかったが・・・。

今日は久しぶりに完全オフ。まぁ、お客さんから電話があったりはしましたが。
で、Youtubeで動画漁りをしておりました。
最初Wikipediaで95年の地下鉄サリン事件の調べものをしていたのですが、その繋がりで
過去のハイジャック事案→911関連と来て、航空機事故関連のニュース動画をチェック。
その日その時に知りたい!と思ったものを、瞬時に探し出せるインターネットは
今やニュース動画等も手間を掛けずに呼び出すことが出来る。これは凄いことですよね。
一日ワンテーマで膨大な情報の海を漂流する醍醐味を味わうことが出来ます。
ちなみに、毎日のテーマは完全に気まぐれ。
今日は比較的ハードな事象を扱いましたが、別段そういったものばかり扱う訳ではなく
例えば先週だと「ブラジルと中国のVW車」や「家系ラーメン」、「WordPress」だったり。
あ、そう云えばウインザー朝について延々と調べたりもしました。
それらが何かに活かされるかというと、殆ど役に立ちはしないんですがね。
WikipediaとYoutubeがあると、どんどん知的関心の輪が広がるのは面白いです。
あ、あとGoogle Earthも手離せないサービスの一つですね。
そんな中、先日スタートしたYoutubeの日本語化について。
あれって何か意味あるのかな?と考えてみました。
元々直感的なユーザーインタフェイスですから、英語が解らなくても苦労しないと
思っていたのですが、そもそも需要があったんですかねぇ?
何でも、10ヶ国語位に同時に対応したそうですが・・・。
ただ、使い易くなったことでユーザー層が広がり、「表現の広場」としてYoutubeに
オリジナルコンテンツが増えていくのはいい事かもしれませんね。
著作権を侵害するコンテンツばかりでは、将来性が無いですから。
FLVによる動画配信って、純粋に個人でやろうとすると大変だしお金も掛かりますから
Youtubeを始めとする一連の動画配信サービスには頑張って欲しいものです。
僕は配信も閲覧も両方楽しむユーザーですが、それがいつか極めて一般的なことになり、
インフラに依存する既成メディアを凌ぐほどの速報性・客観性・共有性を持つ新メディアが
誕生すれば、世界はもっと進化するかもしれない。
18世紀以降の市民革命だって、20世紀の東西冷戦だって、情報の広汎な流通がそれを助けたと
云うことが出来ますからね。権威化・特権化した既存メディアへの対抗軸になって欲しい。
そう考えると、この手の「情報共有プラットフォーム」が進化する意味も見えてきます。
勿論、この手のコミュニティが避けられない「匿名の悪意」には注意が必要ですが
それに対する情報リテラシーの強化が全般的に為されれば、未来は見えてきます。
そんな未来に貢献できるようなエアフレイムであり、Takで居たいなぁ。
メディアマンとしての立ち位置も、テクノロジーの進化に負けないように変化させなければ!
そんなことを考えていた日曜日でした。