メディアは自身の価値に敏感であるべきですね。
さて、今日は「週刊 日経トレンディ」年に一度のロケ収録。
ANAインターコンチネンタルホテル東京で行われた、日経トレンディ12月号の恒例企画
「2010年ヒット商品ベスト30」及び「2011年ヒット予測ランキング」の発表会に行ってきました。
15時の情報解禁とともに、Yahoo!のヘッドラインなどで発表されましたし
各テレビ・新聞などでも報道されるでしょうから、皆さんが目にされる機会は多いと思います。
1987年の日経トレンディ創刊以来続くこの企画は、今や在京テレビ全局が取材に来るほどの存在。
渡辺編集長は発表会のプレゼンテーターを務めた後は各局のインタビュー取材に八面六臂。
僕ら「週刊 日経トレンディ」取材班はかなり
この発表会の盛況を眺めながら、二つのことを考えていました。
自戒とその備忘を兼ねて、以下に書き連ねます。
(すごく長いです。ご興味のある方は続きをどうぞ)
<1>メディアは注目されなければいけないということ。
この「年間ヒット商品ベスト30」に限らず、日経トレンディやその編集長が他メディアに露出する回数は
かなり多いです。実際、通常の「週刊 日経トレンディ」収録前に、別のラジオ局の電話インタビューに
編集長が応じる時間を用意することなどは珍しい光景ではありません。
メディアがメディアを取材し、その言動を報じているんですね。
このことが、日経トレンディの存在を広汎に知らしめて、媒体価値を高めています。
一方で、この番組を配信して居るラジオNIKKEIは
最近radikoやポッドキャストなど、ラジオの進化系をいち早く具体化する局として、こちらも注目されています。
同局のKプロデューサーは、今や同社の広報ご担当者よりもメディア露出が多いのではないでしょうか。
注目されるということは、その対象がそれに値する価値を持っているということになります。
またメディアの場合は、注目されることによって、媒体としての価値を引き上げることが出来ます。
兎角メディアが陥りがちな錯覚として「うちはメディアだから情報発信力がある」というものがあります。
ところが、TV・ラジオ・新聞・雑誌に限らず、今や数多のメディアが溢れている訳ですから
「選ばれるメディア」でなければ、メディアとしての価値は無いも同然なんですね。
かつて僕の知る或るメディアの某役員が、「うちは主軸メディアを中心に、Web、衛星放送、映画など
様々なプラットフォームを持つ巨大コングロマリットだ」と豪語したことがあります。
ところがその様々なプラットフォームは、存在するだけでいずれも注目されていなかった訳です。
この場合、抱えるものが多いだけで、それぞれが連関して利益を生み出す構造にはなっていないんですね。
それでは、ただの弱者連合でしか無いのです。
自社メディアがいま社会からどのように注目されているか、評価されているかを冷静に分析し、
常に注目される努力をしなければ、今やメディアは企業として存続出来ない時代です。
テレビや新聞のような大メディアですらその業況からは逃れ得ない訳ですから
況や産業全体の地盤沈下が深刻なラジオの場合は、更なる努力が必要です。
人通りの多い場所にサテライトスタジオがあるからって、注目されている訳ではない。
そこをもっと真剣に考えなければならない筈です。
メディアは言ってみればコンテンツと言う料理を乗せるお皿。
例えノリタケだろうがウェッジウッドだろうがマイセンだろうが景徳鎮だろうが
コンテンツが充実しなければ、メディアの場合は存在意義がありません。
<2>情報の一次発信者で有り続ける必要性
また、今回の発表会に集まったTVクルーを見ていて
「情報(ニュース)の一次発信者であることの大事さ」を痛感しました。
日経トレンディが発表したものを、別のテレビ局が報道すると、そのテレビ局は
二次発信者としての立場になります。
では、その時にメディアとして真の価値を持っているのはどちらでしょう?
その関係性とそれぞれの価値について考える放送人が少ないなと思います。
スポーツ新聞の一面をずらっと並べて芸能ゴシップを報じる朝のワイドショー。
(最近は多局のワイドショーを並列比較する番組までありますね)
或いは各新聞のヘッドラインを斜め読みしていくラジオのニュースワイド。
これの機能自体を否定する気はありませんが、メディアマンとしてはちょっと残念ですよね。
報じることを生業とするのならば、出来れば自分だけが知り得た情報を発信する方が
ずっとカタルシスがあると思うのです。
ましてラジオの場合、産業全体の価値が問われている(問わなければならない)現状がありますから
「ラジオだからこそ知り得た、報じ得た情報」をどんどん発信しないと、
Webポータルなどに対抗できないですよね。
下手すりゃ、ちょっと気のきいた個人ブログよりも伝播性は低くなるかもしれない。
否。既にそうなっている番組や局も増えているでしょうね。
傍から見ていても、日経トレンディ編集部の仕事への熱量はとんでもないものがあります。
その熱量に感心するのではなく、呼応して、競い合う程にならなければラジオの未来はありません。
不景気だから制作費を削って、スタジオで曲紹介と通信社のニュースだけを垂れ流す…なんて
収益性だけを考えた運営をしていれば、それは必ず受け手に見透かされてしまうのではないでしょうか。
Web上のソーシャルメディアなどが発達したことにより、
既存メディアはその一部の底の浅さを見透かされ、嘲笑されるようになっています。
その不明を恥じ、メディア人としての矜持を以って日々の仕事を頑張れるように
もっともっと、社会に対してアンテナを貼りめぐらせたいと決意した一日でした。