ブレゲにしては、純正ベルトは比較的良心的な価格なのですが。
・ベルトを替えるか替えまいか。
往く春を惜しみ、昨日・今日とブレゲ・アエロナバルを着けています。
僕のアエロナバルは、カミーユ・フォルネ製のクロコマットの純正ベルトが付いているのですが
購入して2年、そろそろこのベルトが傷んできました。
なるべく暑い日は避けていたのですが、購入した年の夏にでっかい汗染みをつけてしまい
馴染んでいく革の風合いを楽しみたくともどうにも気になります。
また、へり返し仕立ての剣先の部分もちょっとくすんだ感じに…まあ、神経質なのかもしれませんが。
以前、青山のルーツで夏用のベルトをオーダーしたのですが
納品した直後にルーツが夜逃げ。験が悪いのでこのベルトは使っていません。
やはり一番好きな時計は、気持よく使いたいですよね。
幸いアエロナバルの純正ベルトは意外にも安価で、いまのものと同じクロコマットなら4万円。
カーフなら1万円ちょっとで買えてしまいます。(フォールディングバックルは4万円ですが。笑)
いま着けているベルトを夏用として、秋用に新しいのを買おうかな、と考えています。
・記憶についての雑感。
最近、記憶というものについて考えています。
人間は、特にエピソード記憶と呼ばれるものを、自分に都合の良いように変質してしまいます。
いい記憶はより良い記憶として、悪い記憶は忘れたり自分の中で消化できる内容に書き換えて。
そのように、自分に都合の良いように記憶を操作することが出来るからこそ
人間はその長い人生を生きて行くことができるのだとも聞いたことがあります。
ただ、喜びと苦しみ、嬉しさと悲しさが混交するような記憶は
なかなかその変換や最終処理が進まないようです。
特にその記憶を根拠として、自分の中に何らかの戒めを持っているとしたら…。
良い経験だけを選択的に記憶すれば戒めを忘れ、再び同じことを繰り返してしまうでしょうし
悪い経験を記憶したくない、と願っても、同居する良い経験がそれを阻む。
そのせめぎ合いが、経験を幾度も反芻させ、確たる居場所も持てぬまま、体の中を漂うのです。
その漂流する記憶は、時折意識の表層に浮かび上がり
戒めを忽せにしようとするのです。
思考が内へ、内へと進む傾向がある僕にとって、これはかなり厄介な問題。
時としてその思考に結構なリソースを割かれることもある為、自律の手法を考える毎日です。
………
本当は、あと一つ書こうと思っていたことがあるのですが
これについてはもうちょっと時間が必要なようです。
完全に独り言にしかなっていないエントリーですが、自分の意識を俯瞰するためですので
どうぞご容赦を。
では、素敵な週末をお迎えください。