そんなことを考えながら、時計の写真を撮ってました(笑)
人間は簡単にものごとを忘れてしまうのに、
感情を伴った記憶は、忘れ難い。
忘れたくても思念が遺っているから、折節に蘇ってくる。
カフェの座席だとか、コンビニの菓子棚だとか、ラジオから流れてくる歌だとか
帰宅後のニュースだとか、手癖のようなレトリックだとか、街の匂いだとか
そんな些細なものが、忘れようと努力までしている記憶を
態々目の前につき出してくれる。
その努力自体が、記憶と感情をなぞるような作業なんだけど
この期間はなかなかそれに気づかない。
でもある時、不意に
拭いがたい存在だった筈の記憶から、感情の要素が色褪せていることに気付く。
そうなると、記憶はやっと「次第に失くしていくもの」に化けてくれる。
そしていつか、金曜日の朝食はなんだっけ?というのと同じくらいになるのだろう。
その経験の意義すら解らなくなってしまうくらいに。
やっと「ただの記憶」になったものを見つめていると
そこに思念の跡は確かにあるのだけれど
既に僕という人格からは切り離されて、ずいぶん余所余所しい感じがする。
それが、人間の強さなんだろうなあ。
それが、人間の弱さなんだろうなあ。
そんなことを、外苑前のSignで
そろそろ今年最後のアイスティを飲みながら、考えていました。