さて、ゴールデンウイークも前半戦が終了。
今年は日並びが良いのか悪いのか、渋滞や出国ラッシュも分散傾向にあるようで。
4月28日の成田では5万人以上が出国し、4月27日から5月6日の間では延べ73万人弱が
出入国するそうです。
また高速道路や鉄道の混雑は、下りが5月3日・上りは5月4日・5日がピークとのこと。
沢山の人々が、一斉に遊びに行くんですねぇ。この時期は生産より消費が凄いんだろうね。
皆さんはどのように過ごすご予定ですか?
ところで、これらの数字を見ていて思うのが
「この国は景気が良いのか、それとも悪いのか?」ということ。
経済全体の指標を見ていると、確かにこの国は景況が上向いているようなんだけど、
一方ではネットカフェ難民などの驚くような社会階層が出現している。
一体、この差はなんなのでしょう。
かつて日本経済は「世界で唯一成功した社会主義」と云われるほど、富の再分配が均等に
行われていました。傾斜のきつい累進課税制度や、(ある一面で)充実し過ぎの社会保障。
この中で生まれた「悪しき平等」が、バブル崩壊以降の規制緩和や経済的な「勝ち組」・
「負け組」を容認する新しい概念とモロに相乗してしまったような気がします。
この平等感は、高度経済成長期の日本においては「皆で生活水準の向上を図る」という
大きなモチベーションになっていたと思うのですが、ある一定の所得水準・生活水準を
確保した後は、どうも競争原理の排除にそのベクトルを向けたような気がするのです。
「談合体質」や「ゆとり教育」は、その最大の発露ではないかと考えます。
つまり、ゆとり教育等で公教育が後退し、教育領域での「競争」が排除される一方で
社会では経済体制の変化から、競合の拡大や雇用システムの大幅な変化など、
これまで以上の過酷な生存競争が繰り広げられる。
そして、そのギャップに備えていなかった階層が、社会人になる初手から躓き、
あっという間にスポイルされていく。
これって、特に若年層からすると教育の責任が大きいですよね。
勿論、勉強しなかった責任や、リテラシーの向上を図らなかった個々の責任というものは
あるけれど、社会や経済の環境の激変に対応しなかった教育の責任も重いと思います。
我が同志・ippeichanのブログの記事にもありましたが、いいトシした新入社員の
理想の社長がプロ野球選手やタレントってのは、ちょっとヤバ過ぎる気がします。
TFMで新卒採用の面接官をしたり、或いはエアフレイムでの採用を見ていて思うのですが
若・青年層のポテンシャルの二極分化は、かなり危険な領域まで来ています。
びっくりする程頭のいい(「出来る」とはちょっと違うんだけどね)子と、会話さえ成立しない
異様にスキルの低い子。特にコミュニケーション不全の子が物凄く増えている。
このままでは、この国は滅茶苦茶な階級社会になってしまうような気がします。
かつての「国民が総じて優秀」だった日本ではなくなってしまいます。
教育は国の礎。長期戦略を以って臨まなければ、国の興廃に関わります。
この事態に、僕たちは社会人としてどのように貢献できるのでしょうか?