深夜にWebを徘徊していると、時折この状態になってしまいます。
およそ半年振りの愚行です。
君子必慎其独也。
そんな時こそ慎み深くあらねばならぬのに。
近日中にレビューします。
知命を迎えた或るラジオマンの徒然なる日々の記録
深夜にWebを徘徊していると、時折この状態になってしまいます。
なんか、FM Salusがいつの間にかサイマルラジオに加盟しています。
人類(ホモ・サピエンス)がこの地球上に出現してから25万年ほど経っているそうです。
その中で最大のトピックといえば、火と道具、言葉の使用ではないかと考えています。
しかし、25万年経ってさえ、実は私たちはそれらを完全に御することが出来ません。
火は自然に在ったものから自ら起こすものとなり、今や原子の火を使っているけれど
実は人間は、自然発生の山火事や、不始末の焚き火すら容易には消せません。
道具は、棒っきれ一本から始まり、今や宇宙にまで進出できるほど進化したけれど
人はひとつの石で死に、一本の棒で殺されてしまうことがあります。
言葉は人々に智恵と歴史を授け、今や自宅に居ながら世界のあらゆる情報を集めることが出来ますが
短い言葉一つで戸惑い、誤り、混乱し、社会が崩壊することすらあります。
人類はその能力故に、その能力以上のものを使う唯一の存在として、地球上に君臨しています。
そしていつか人類は、その御しきれぬ力で、自らを滅ぼしてしまうのかもしれません。
それを避けるには、自己の能力を過信せず
常に畏怖と慎重を忘れてはならないのだろう、と考えています。
原子力発電所を運用する時も、自らの統治者を選択する時も、自らの言葉をネットワークに乗せる時も
その畏怖と慎重を忘れずに居なければいけないのでしょう。
我々は、弱く儚い存在であることを自覚し
その上で、与えられた能力を過信することなく存在しなければならない。
いま進行中の事象の幾つもが、共通してその課題を我々に突きつけているように感じています。
震災から二週間が経過しました。
今日は久し振りに余震の無い一日でした。
この二週間、
自分の死生観とか、仕事観とか、メディアのこととか、コミュニケーションのこととか
秩序とか、倫理とか、人間観とか、物凄い量の思考が頭を駆け巡っています。
その散逸した思考は、ほぼ一定の方向を向いているのですが
まだ言葉としてまとまっていません。
ただ、一つだけ言えることは
この未曾有の事態は、ひとが「毎日を生きる」という
一見なんでもないようなことに、真剣に向き合える機会になっているということ。
日々の心の揺らぎを見逃さず、あらゆるものと接した時の感覚を鋭く自覚して
これからも続く毎日への糧にしたい、と心から思います。
新しいことを始めてみよう!と最近考えています。
ダイエットは開始から3ヶ月。目標の下方(?)修正を2回行い、
減量幅は過去最大の16kg(30歳の頃)を越える勢いです。
併せてウォーキングは既に1ヶ月ほどになり、次第に自分の生活に溶け込んでいます。
また昨日はある方にお願いしていた花押(かおう)が届きました。
これを今後、署名時に使おうかななんて考えています。