さて今回は、以下の記事を読んで考えたことなどを。
「この仕事は合ってません!」と1カ月で辞める新人の“事情”(日経ビジネスオンライン)
僕は自分で設立した会社を除き、3つの会社で働いてきた。
そしてどの会社でも、前述の記事にある「リアリティー・ショック」を受けて
所属の初期において、辞めたい!と思った。
「もっと自分に合う職場、合う会社、自分の力を発揮できる会社がある!」と思った。
2つ目の会社の時など、なまじ前職で自信を持っていたが故に
うつ病にまでなってしまい、完治までに1年以上懸かってしまった。
その経験から言えば、最初から「自分に合う会社」なんて存在しないと思う。
ただ、最初の会社で辞めたい辞めたいと思っていた時に
先輩から「どんなに辛くても、3年いれば絶対に状況が変わるから、そこまで頑張れ」と云われた。
聞いた当初は、3年なんてとてもじゃないけど無理…などと思っていたけれど
実際、入社から2年半を経過したところでようやく自分なりの「コツ」を掴んで
まる3年経った4年目からは俄然仕事が楽しくなった。
先輩の言葉は正しかったなぁ!と思い、その後勤めた会社は
どんなに辛くても、いずれも3年以上在籍した。
実際には3つの会社を辞めているから、上述の話には説得力がないかもしれないが
2つ目の会社に移る時は、地方局からキー局への転進という明確な目標があったし、
3つ目の会社に移る時は、サラリーマンから経営者(取締役)への転進が目的で
株式会社SEVENを作ったのは「独立して、自分の掲げた旗で戦う」というのが目的だった。
辞めたどの会社とも、退職後も良好な関係を保っているし、
そもそも会社が嫌いだから辞めた…という訳ではない。
閑話休題。
この「最低3年は我慢して在籍した方が良い」というのは、比較的あちこちで聞く言葉だ。
それをある程度論理的に考えてみると、新しい仕事を自分のものにするためには
下記のステップが必要なのだな、と考えた。
1.所属組織の「文法」を掴みとる。
2.自分の仕事の要領を覚える。
3.顧客(或いは市場)の状況を分析し、その中での自分の仕事の役割や意義を理解する。
4.自分の仕事に関連する人々の役割や意義を理解する。
5.自分ならでは、の仕事を創り出し、自分の存在意義を確立する。
…こう考えると、それぞれのステップはやはり応分の時間が必要で
特に4番以降のプロセスは、それ以前をきちんと達成しなければ挑むことも難しい。
幾ら優秀で才気煥発な人であっても、一足飛びにイノベイティブな存在にはなれないのではないか。
まして平凡であったり、他者よりちょっと優れている程度ではどうにもならない。
この辺に「最低3年間は…」という言葉の説得力があるのではないか。
人間は、それが他者から強制されたものであっても
自身の行動に意味付けが出来ないと、継続(或いは成長)できないと聞いたことがある。
そう考えると、最低でも3番のプロセスまでは進まないと、どれだけ転職を重ねようと
いつまでも居心地の悪さを抱え続けるのでは無いだろうか。
僕は、巷間に溢れる「自分探し」という表現が好きではない。
いや、ちゃんと自分を確立してからのそれはなんの文句も無いし、寧ろ応援したいのだけれど
自分のキャリアにひとつも柱が無い状態で自分探しをすることに意味があるとは思えない。
押し付けを感じても、軋轢に悩んでも、プレッシャーに苦しんでも
それをくぐり抜けないと得られない「成功への道筋」があると思う。
その手前で投げ出してしまえば、結局「どうすれば上手くいくか」のノウハウが無いのだから
いつまでも迷走してしまう。
そう考えると、やはり2年以内の離職率が35%という現実(冒頭リンク先参照)は
あまり良い傾向だと思えない。
未来が不透明だからとか、上司がどうだとか、転職エージェントが煽るからとか
そんなトレンドに躍らされるのではなく、
せめて「どうやったら社会で自分の立ち位置を確保できるのか」が見えてくるまでは
理不尽でも我慢した方がいいのではないかと考える。
もちろん、ただ3年居るだけでなんとかなる訳はなくて
その期間中に色々頑張らなければいけない。苦しまなければいけない。
ただ不平不満を並べているだけならば。仕事と対決しないならば
会社からすれば利益にはならないのだから。
例えば総支給20万円のお給料を貰う人が、毎月20万円の売り上げを得たとしても
それは会社からすれば完全に赤字。下手すりゃ20万円の粗利を上げても赤字の場合もある。
月次では無理でも四半期で。四半期で無理なら半期で。あるいは通期で
なんとか自分を「黒字要因」に持って行く努力は必要ではないか。
その辺の「お給料の仕組み」や、それに基づく緊張感は持っておくべきだと思う。
家族。
時間を忘れる美しさ…
今日はおすすめ動画のご紹介です。
Mindrelic – Manhattan in motion from Mindrelic on Vimeo.
最大化(フルスクリーンモード)推奨です。
なんと美しい…。
まとまった休暇が取れたら、ニューヨークに行きたいなぁ!
でも、台湾にもシベリアにもトルコにも行きたい…。
ちなみに、この動画の東京版を作っても
かなり美しいものが出来るのではないかと思っています。
【おまけ】 この記事も大好き。全然方向性は違いますが。
上京10年。
日曜日の早朝に撮った、夜明けの六本木です。
何年経っても、東京の春は素敵だなァと思います。
さて、久し振りの更新です。
毎日バタバタしておりますが、元気です!
オフィスのラジオで、TOKYO FMの「シナプス」を聴いていたら
この春上京してきた方々に向けたテーマで放送を行なっていました。
リスナーさんたちの喜びや期待、不安などが詰まったコメントに、ウンウンと頷いていて
ハッと気付きました。
今日、2012年3月28日で
上京してからちょうど10年となりました。
ついこの間までは結構意識してたんだけどな(笑)
10年前の今日、当時の居住地であった都立大学の駅に降り立った時の高揚感だとか
新居に入った時の匂いは、今でも時々思い出します。
最低限の荷物しか送っていなかったので、ガランとした部屋には仕事道具と布団、着替え、
そして小さなラジオしかありませんでした。
チューナーを1242KHzに合わせて、ニッポン放送が聴こえてきた時は
「ああ、東京に来たんだ!」と感慨ひとしおでした。
これはラジオマンならではの感覚かもしれませんね(笑)
あれから10年。
結婚して、転職して、病気して、復活して、また転職して、さらに独立して…
31歳からの10年は、どんなジェットコースターよりも刺激的だった気がします。
いまこうして、この街を終の棲家と決めて
外苑前のオフィスで仕事をしているなんて、
当時の僕にはまったく予想もつかないことでしょう。
「こういう風になるんだよ」と話したら、僕はどんな表情をするのでしょうか?
東京は土曜日から桜が開花し、4月7日に満開になるそうです。
新しく東京での生活を始める皆さんが、桜のように美しく花開くことができますように。
東京は素敵な街ですよ!
しあわせさがし。
四つ葉のクローバー、見つけられますか?
六本木での打ち合わせから事務所に戻る途中、
乃木坂を過ぎたところにある小さな花屋で、クローバーの鉢植えを買いました。
最初は通り過ぎたのですが、あのクローバー、四つ葉のがあったな…と思い
引き返して購ったのです。
とても小さいクローバーが密集していて、パッと見カイワレっぽいのですが(^_^;)
とても可愛らしいのです。
新しく始まった年度が、たくさんの幸せに巡り会えるものであればいいな、と
机の上に置いた鉢を眺めながら考えています。
子供の頃、福岡の田舎の新興住宅街に住んでいたのですが
まだ開発途中で、近所には空き地がたくさんありました。
そこで時々、四つ葉のクローバーを探していたのを思い出しました。
もう30年以上も昔の話です。
気がつけば、あと二週間ちょっとで上京してまる十年になります。
いつの間にか、福岡で働いていた時間より、東京で働いている時間の方が長くなっていました。
時間が経つのはあっという間ですね。
年度末に考える。
第一弾の「東京の風景」は、500pvを越えるも売上はゼロ。
さて、あと数日で株式会社SEVENの第4期が終わります。
年を経るごとに、一年間の体感時間が短くなっているのですが、今年度は格別でした。
決算書は経営者の通信簿のようなものですが、今期も不満の残る内容となりそうです。
たくさんのお客様のご厚意に感謝申し上げつつ、自身の不甲斐無さには猛省が必要です。
そこでここ数週間、必死に営業や企画の立案を進めています。
新しいお話しを頂く一方で、長く続いた案件が終了するなど、事態は楽観を許しませんが
今できることは、眼前の仕事を徹底的にやり抜くことだと考えています。
とは言え、今までと同じ事ばかりしていても業容は拡大しませんから
色々なことを考えています。
その中で、最近話題のGumroadを使ったWebサービスを考えています。
Gumroadとは何か、はこちらをお読み頂くとして、これまで販売物を制作することは出来ても
決済手段の確保に頭が痛かった弊社にとっては、とても期待できるサービスです。
現在は試験的にひとつだけ商材をアップロードし、色々検証しています。
これは「認知経路」と「着地点」、そして「商材」を巧く組み合わせれば、小規模ではあっても
少ない労力で売り上げを獲得できるのではないでしょうか。
弊社は番組制作や企画立案・SPなどの受託案件が多いのですが
このような労働集約型のビジネスモデルは、どうしても成長に限界があります。
とは云え、eコマースに進出するには充分な体制を確保できませんし、
初期投資と期待収益のバランスが著しく悪い場合、業績全体への悪影響が避けられません。
そこで新しいWebサービスを可能な限り活用し、トライアルする必要が出てきます。
実際、Twitterは弊社にとっては非常に有益なビジネスツールになっています。
(非常に興味深いのですが、ビジネス向きとされるFacebookよりも、Twitterの方が
実際の業務に貢献していることが多いです。主に調達関連ですが)
一応、サービスイメージと、その為のドメイン・サーバなどの材料はひと通り揃えたのですが
如何せん組み立てる時間がないのが目下の悩みです。
専門家さんにお願いすればいいのでしょうが、弊社は自社サイトも独りで作っていますので…(笑)
先日、大手広告代理店の電通が発表した「2011年 日本の広告費」によると
弊社の主戦場であるラジオ業界の売り上げは1,200億円台半ば。
僕がこの業界に入った93年は2,113億で、東京に出てきた02年が1,837億ですから
産業全体の長期低落傾向にはなかなか歯止めがかかりません。
これに対しては、弊社は市場の縮小を憂慮するよりも、
まずその中でどれだけシェアを拡大するかを考えなければいけないと思っていますし、
そこでいい仕事を積み上げて、眼前のクライアントに「ラジオってイイね!」と言って頂ける
努力をしなければならないと考えています。
しかし、コンテンツというこれからの主要産業の只中にいることも事実ですから
それをどう創り、どう売るか、という点についてもしっかり考えなければいけないと思います。
なかなかのんびり出来る時間が確保できませんが
ボヤボヤして尻に火がつかないように、日々頑張って参ります。
ですので、皆様お仕事のご用命は株式会社SEVENにどうぞ!(←営業)
カンバン。
新しい全体主義
この記事に違和感を感じたので、思ったことを。
まずリンク先の記事をご一読頂ければ。
田原総一朗氏らが基調対論 ツイッターでジャーナリズム「変わった」(毎日新聞)
僕はこの中にある佐々木俊尚氏の「社会を再結成、再構築する方向に向いている」という
ポジティブな印象に読み取れる分析に、強い違和感を抱いた。
個人的には、最近の「SNS上の社会」(ここは厳密に定義したい)には寧ろ
「ハニカム全体主義」とでも形容すべき、危険な構造が醸成されつつあると分析している。
ハニカム全体主義というのは僕が思いついた造語でしかないんだけれども
80年代、個人向け消費財が進化する過程で発生した、「個人のコクーン化」に、
90年代中盤から始まったIT革命以降の「個の発信」機能が付加されて、
ラウド・マイノリティという存在が看過できない存在になっていることを下敷きにしている。
まあ、何かが起きるとブンブンブンブンと蜂の巣をつついたように姦しくなる
昨今のWeb界隈のメタファーもありつつ…(笑)
Webの匿名性をコクーンの担保として、一方で酷く感情的な言動を個々が発信し、
同じ空気をSNS上で共有すると、それが巨大な感覚の集合体になり、
同調圧力を伴ってWeb社会上を闊歩する。これを蜂の巣構造(ハニカム)の全体主義と名付けてみる。
この傾向は、Webにおける個人レベルの情報発信が
Webサイト→Blog→SNS→Twitterなどのソーシャルメディア…と簡便になるに連れて
次第に強まっていると思う。
リテラシーが決して高くない人びとが参加しやすくなったことが影響しているのではないか。
まだWebがイノベイターやアーリーアダプターのものだった頃は、今のような付和雷同な動きは少なく
寧ろ何でもかんでも議論、議論だったような気がするのだ。
(まあ、それはそれでメンド臭かったりするんだけれども)
ハニカム全体主義は、個の閉鎖性を維持したまま、
意識の集合が巨大化するという、新しい社会性を帯びている。
それを再結成・再構築と指摘するのであれば、佐々木氏の分析は正しいと思うが
僕はそこにポジティブな印象を持つことができない。
感情と、それを集約した「空気」が、SNSのような限定された空間に充填されると
これまで以上に無責任な世論が形成されると思うからだ。
まして、なんとなくソーシャルメディア上での世論が実社会の世論と混同されがちな現在において
その危険性は非常に高いと考える。
僕が度々指摘している「空気のファシズム」は、このハニカム全体主義と同義。
思考が深まらず、感覚や気分だけが飽和して、実体社会に影響し過ぎるのは問題だと思う。
この点において、SNSの功罪は常に考えなければいけないのではないか。
事実、アラブの春を経たチュニジアやエジプトの混乱は
意志の中核や主体を持たない―つまりポスト体制の具体的な絵図を描けない
「烏合の衆革命」の脆弱さを浮き彫りにしていると思うのだ。
そこにあるのは民主主義ではなく、気分の全体主義だ。
この高度情報社会で大事なのは、溢れかえる情報の中で
考え、自分の分析を持ち、その上に自身の意見を構築すること。
SNSに溢れる「気分」を感じることを、考えたと勘違いしがちだがそれは違う。
最近「情報のキュレーター」なんて存在が持て囃されたりしているが
それすら疑ってかかってもいいと、個人的には思っている。
微かに
年頭所感。
1/5に、羽田から青山に戻ってきたときに撮った写真です。
今年も、この街で頑張ります。
さて、ずいぶん遅くなってしまいましたが
2012年最初の更新です。
本年も何卒宜しくお願い致します。
毎年年初には、その年の目標を立てているのですが
2012年はシンプルに、「眦を決すべき年」であると銘じます。
年末年始休暇の間、散々考えました。
自分自身の成長。
会社の現状と未来。
自身が社会に対して貢献できること。
そして何より、自分自身が持つ理想と志向。
それらに対して、これまで中途半端な思考と態度から
ずっと中途半端な立ち位置しか取れていなかったことを反省し、
最早モラトリアムは終わったことを認識するところから始めなければならないと考えました。
僕がこれから、どのような人間になっていくのか。
それが試される一年であると思います。
初詣で引いた御神籤は、それを示唆するかの如く、手厳しい内容でした。
周りの方々のご厚意に甘えるばかりだったこれまでを反省し
真に独り立ちを果たさなければ、自身を誇る未来は永劫にやって来ません。
弱き自分と決別し、新しい毎日を、誠実に歩みたいと思います。
今年も何卒宜しくお願い致します。