今年もお世話になりました。

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2012年も、ここから。
沢山の意義と意味を。

先程、2011年の仕事がすべて終わりました。
323本の番組、
約280本のCM&パブリシティ原稿、
45本のイベント、
5つのウェブサイト、
8つのキャンペーン…
どれも、沢山の方々のお力やご配慮を賜って進めた仕事です。
僕一人の力で成し得たものは、何一つありません。
すべてのお客様と、ビジネスパートナーの皆さま
そしてスタッフたちのおかげです。
本当にありがとうございました。
皆さんのおかげで、僕は僕として2011年を生きることができました。
一方、これらの仕事の中には
志半ばで終えざるを得なかったものも多くあります。
それらを通じて、自分の人間性の拙さや技量の低さ、軽率さなどを痛感しました。
来年はその点を充分考えながら、一歩一歩、踏み締めながら前進したいと思います。
何かで、2011年を
「未来が忘れない年」と表現しているものを目にしました。
確かにその通りです。
震災を通じ、隠す余裕が無くなったものが、色々と噴き出してきたような一年でした。
社会も、そして僕自身も。
そこで、もう一度隠したり、誤魔化す術を探すのではなく
飾らない自分で、それでも社会に有益な存在で居ることが出来るように
誠実に生きていきたいと思います。
今年もお世話になりました。
どうぞ、佳い年をお迎えください。
ありがとうございました。

今年は帰省します。

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こんな感じを希望。

今年は、久し振りに年末年始に帰省することにしました。
大晦日の朝、新横浜から新幹線で福岡を目指します。
プライベートの長距離移動は久しぶりなので、鉄道の旅にしたのです。
(帰京は飛行機なのですが)
幸いグリーン車が取れたので、お弁当でも食べながら
楽しんで帰りたいなと思っています。
一方で2011年は、
仕事のこと、会社のこと、人間関係のこと、社会のことなど
あまりにも沢山のことがあって
それぞれに総括が必要だという認識は常にあったのですが
日々の慌ただしさに押し流されて、充分に思索することが出来ませんでした。
博多までの5時間、車窓の景色と共に、ゆっくり考えることが出来れば。
福岡の皆さま、お時間があえば、お会いしましょう。
(夏に携帯の番号が変わりました。連絡先が分からない…という方は、メールか
このブログのコメント欄にお願いします。僕が承認しないとコメントは表示されませんので
ご安心ください)

仕事に追い詰められ、仕事に救われる。

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昨日、現場を去る時に撮ったもの。
祭りの後はいつだって寂しい感じがしますね。

慌ただしく駆けまわる日々が続いています。
案件を追い、売上を追うだけでなく
会社の未来を拓く構想を練ったり、人事面に悩んだり。
財務面の対応などもあり、
時として、仕事に追い詰められているような気持ちになることもあります。
特に今期は、震災を契機に様々な問題が噴出して
それも自分の中の苦しさを増した部分があります。
ただ、その仕事の苦しさや突発的な苦難に
結果として救われる…ということも多くあります。
今年の初め頃、どうにもならないことにずっと悩んでいました。
もう「無かったこと」にしたいのに、いつまでも苦しさや後悔がついて回っていたのですが
震災によって、そのことを考える余裕すら失ってしまいました。
会社の業績は大きく傾き、人も去り、トラブルなども抱え、毎日が必死でした。
ようやく秋になって、色んなことが落ち着いてきたら
再び心が揺れ始めました。
蓋をした悩みが熾火のように消え残り、
決断が覆りそうになりました。
そこに、久し振りのイベントの仕事。
毎日早起きして、肉体を酷使し、物事をじっくり考える暇はありませんでした。
しかもその途中に再び人事の問題が起きたり、税務調査を受けたり。
それぞれが大変で、悩む余裕など微塵もありませんでした。
結果、それが悩みを抑え込む形になっていました。
苦しいことは、辛いのですが
それが別の悩みを駆逐してくれる、という側面もあるのだなと思いました。
人生の機微とは、なかなか味わい深いものですね。
今日は久し振りのオフ。
明日からまた、一歩一歩頑張ります。

なんでもないこと。

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お台場や幕張、みなとみらいなどの
人造的な都市が苦手です。
特に人の少ない時間帯は、とても寂しい気持ちになります。
今日、台場での仕事を終えて駅に向かっていたら
夕焼け空がとても綺麗でした。
どんな街でも、空の美しさは変わらないのだな、と
今さら気付いて、ちょっと嬉しくなりました。
お台場通いも残り4日間。
なかなかしんどいですが、頑張ります。

閉塞感について。

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それでも空は綺麗。青山墓地の木立も美しく色付いています。

3.11以降、強い閉塞感を感じている。
震災は、街や人を呑み込み、原子力発電所の事故を引き起こしただけでなく
これまでは看過されてきた(或いは隠されていた)様々な問題を露呈させた。
政府や企業の仕事の進め方、財布の中味、考え方の問題点などがあちこちで行き詰まっている。
世界的に見ても、欧州危機を契機に
今や資本主義の限界まで見えて来たような印象を持っている。
レバレッジにより、実体を遥かに越えて膨張した金融市場が縮退を始めると、
財政だけでなく社会そのものが引き波に呑まれていく。
欧州では既に4つの政権が交替し、ユーロの維持すら不透明になっている。
これらの潮流は、当然社会に暮らす人々にも影響して
若年失業率や貧困率の拡大は深刻な水準に達しているし
それに対する抵抗活動―
例えばOccupy Wall Streetであったり、アラブの春であったり
日本だと「就活ぶっこわせデモ」なるものまで現れたが
それらが問題解決への有効な手段で無いことは、当事者たちも理解しているのではないか。
閉塞感が、街を、都市を、社会を、世界を覆っている。
そうなると、人も企業も国家も防衛的な姿勢になる。
ピムコのビル・グロス氏が提唱した”DDR”のトレンド
(De-leverage/負債の削減 De-globalization/グローバル化の後退 Re-regulation/規制の復活)
これらは別に金融市場や国家財政に限った話ではなく、
個々人の経済活動の中でも、余裕の無いパイの中での利益の奪い合いをしなければならないから
どうしても衝突が増えてしまう。
IT革命以降一般化したツールは、個人の生産性を極大化した。
同一の業務について、20年前とは比較にならないくらい省力化とスピード化が進んでいるのだが
それは例えば労働時間の短縮だとか、ワークライフバランスの向上に充てられるのではなく
業務(或いはそれに伴う報酬・富)の寡占化、偏在化を後押ししてしまっている。
結果、(極端に言えば)どこまでも忙しい人と失業者という二極分化が進んでいる。
これも人々の衝突要因を増やしているし、クラスター間の憎悪を招く下地になっている。
産業革命下の19世紀前半にも同様の現象が起きて、結果ラッダイト運動が起きているのだが
当時はまだ圧倒的に成長や開発の余地があった分、全面的な崩壊は起きなかった。
一方で、1929年の「暗黒の木曜日」を契機とする世界恐慌は経済のブロック化をもたらし
富の奪い合いは最終的に第2次世界大戦を招くことになった。
今の流れは、寧ろ後者に近い。
TPPやFTAAP、ASEAN+6などは、経済よりも政治の観点で考えなければその本質は理解出来ない。
IT革命とグローバル化は、個人や家庭レベルでの経済・生産にさえ影響した。
その結果、それらの独立性の維持を難しくしている。
昔のような自給自足の生活は、都市生活者だけでなく、農村でさえ不可能になっている。
結果、国家レベルでの綱引きに容易に引きずられる危険性を孕んでいる。
個人間で増えていく衝突や憎悪は、国家間の水準でも増大していく。
全てが密接に連動し、閉塞感がそれらの「気分」を増幅させた先にあるものは―
シンガポールや中国のような国家資本主義か、かつてのドイツのような国家社会主義か。
いずれにせよ、全体主義的な傾向を招き寄せるような気がしてならない。
以前書いた「気分のファシズム」は、その部分的な蠢動ではないか。
そんなことを考えて、少し恐怖感を覚えている。
多分、「低い水準に合わせた」富の均質化は理論上の解決になるのだが
それは実質的には無理だろう。
どこかに突破口はないのだろうか。

大切なこと。

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南元町・迎賓館裏手の通り。ここを歩くのが大好きです。

「あなたのおかげで元気になりました。頑張ります。」と
嬉しい言葉を頂けた。
寧ろこちらが元気になった。ありがたかった。
その数時間前に、何人かの方と話していて気がついた。
僕は、僕が思っている以上の人に
嫌われ、憎まれ、恨まれている。
そして、好かれて、大事にされている。
これはどちらも大切なこと。
もっと謙虚に。もっと優しく。そして、もっと人を信じて。
そんなことを考えながら、四谷から外苑までの道を歩いて戻りました。
秋の陽射しと、色付いた街路樹が眩しくて、幸せな気持ちになりました。
日々、いろんな存在に感謝。

満腹。

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誕生日の夜は外食だったから、と
今夜は妻が頑張って作ってくれました。
じゃがいものペペロンチーノに、ほうれん草と鮭のキッシュ。蛸のカルパッチョなど。
とても美味しかったです。
ただ、連日食べ過ぎたので、明日の体重がちょっと心配…。

41歳の地図。

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11月11日の時計はブレゲ・クラシックと決めています。
10日はアエロナバルと迷いましたが、ヴァシュロンで。

41歳になりました。
たくさんの方からお祝いのありがたいお言葉を頂戴しました。
本当にありがとうございました。
不束者ですが、今後も何卒宜しくお願い致します。
振り返ると、40歳の一年間は悲しいことや苦しいこと、
悔しいことが多かったように思います。
数えの41歳(つまり2011年)は男性の大厄と云いますが、
最も印象に残る東日本大震災は別として、
それ以外の困難は、全て自分自身に起因しています。
それは薄情であったり、不誠実であったり、怠惰であったり、軽率であったり、無思慮であったり…。
これらのことに対して、真摯な反省と、前進への正しい動機付けが必要だなと
ここ数週間考えています。
不惑を越えても、未だ人格の完成を見ない自分に呆れる部分はありますが
自分の人生をより良いものにする為にも、進化を諦めずに頑張ります。
今日選んだ時計はブレゲ・クラシック Ref.3210BB。
単に一番大切にしている時計だから、ということではなく
この時計を見つめていると、「時間」というものについて考えることが出来るのです。
個々人に与えられた時間は必ず有限であり、
それを意味あるものにするのも、無駄にするのも、自分自身です。
そのことを肝に銘じて、今日からの毎日を過ごしたいと思います。
来年のこの日、確かな成長を感じられるように。
また一年、頑張ります!

ハマギク

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街の露地でもよく見ますね。

先日、皇后陛下の喜寿のお誕生日を報じるニュースの中で
岩手県大槌町産のハマギクを愛でる天皇・皇后両陛下のお写真がありました。
過去、当地から寄せられた種を御所でお育てになったものだとか。
5月に両陛下が、津波被害に遭った大槌町をお見舞いに訪れた際、
被災者の方々に、「ハマギクは美しく育っていますよ」と励ましのお言葉をお掛けになったそうです。
このハマギクは、学名をNipponanthemum nipponicumといい、英名をNippon Daisyと云うそうです。
日本原産、一属一種の固有種。
北方性の菊で、特に青森県から茨城県の太平洋岸に自生しています。
まさに東日本大震災の折、津波の被害を受けた地の花です。
このハマギクの花言葉は「逆境に立ち向かう」というもの。
この植生や花言葉までを含めた皇后陛下のお言葉に、とても感銘を受けました。
華やかさとはかけ離れた、この白く清楚な花は
育てる上で手間も懸からず、放任でも育つそうです。
その強さで、この秋も被災地の沿岸で咲き誇っているとのこと。(岩手日報の記事
僕は花の類には全く造詣がありませんが
このハマギクを庭に植えようかなと思っています。
その楚々とした出で立ちと、強さを自分の励みとして、
そして被災地の人びとの強さを信じ、
それを支えることを忘れないために。
花言葉、なんて柄じゃありませんが
久し振りにことばに震えたので、書き記しました。

C2Dと41歳。

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久し振りに普通に昼休みを取れたので、パチリ。

先週一週間は、複数案件のピークが重なったこともあり
40代に入って最も忙しい7日間になりました。
毎日あさ7時から深夜3時・4時まで作業して、尚且つ家でもガリガリに作業。
もう完徹が出来ないトシなので、土曜の夜あたりにはフラフラになっていました(苦笑)
で、自宅ではDropboxで同期させながら
2台のPCでひとつの提案書を編集するなどしていました。
作業性はモバイル用のVAIO(Core 2 Duo / 1.3GHz・2GBメモリ)の方がいいのですが
音声ファイルや画像の編集などは自宅用のThinkpad(Core i5 / 2.3GHz・4GBメモリ)の方が
圧倒的に上だからです。
そんなヘンテコリンな作業をしながらちょっと思っていたことが
「愛着だけで使い続けることは難しい」ということ。
マシンとしては絶対的にVAIOの方が好きなのですが、生産性を考えるといつまでも使えない。
どれだけチューンナップしても、どれだけ自分好みのセッティングをしても
いつかは新しいマシンに切り替えないと、加速する自分のペースに合わなくなってくるんですね。
それは別にパソコンだけでなく、マンパワーも同じ事だと思ったのです。
今は沢山のお客様や、仲間に支えて頂くことで僕の価値
(この場合は僕の生産額と同義として捉えて下さい)は維持できていますが
どんどん歳を取って生産性の向上を図れなくなれば、市場からはスポイルされる訳です。
今はまだ自分自身のアップデートが出来ているけれども、確実にどこかで陳腐化してしまう…。
そう考えると、僕の会社を僕の価値低下と連動させないように
新しい血を入れて、若さや機動性、新規性を維持しなければいけないなと思います。
特にコンテンツ制作の領域、企画制作領域については
新人の教育から独り立ちまでの時間を考えれば、今すぐにでも対策を打たねばなりません。
株式会社SEVENを僕の個人事務所と捉えれば、僕がリタイアするまで逃げ切れればOKですが、
そのような会社にはしたくありません。
これまでは「まだ40代序盤だし…」なんて思っていた組織化を、本腰をいれて考えなければ。
あとひと月もしない裡に、僕は41歳になります。
減衰する体力、知力を努力で補いつつ、次の一手を考えます。