個人的震災対策メモ(会社編:その1)

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最早この『装置』をネタに出来なくなっています。

さて、個人的な震災対策メモ。今夜は会社編です。
本論に入る前に、まずこの記事をお読み下さい。

津波伴うM8級、1か月内にも再来…専門家
読売新聞 4月14日(木)3時15分配信より引用
 東日本大震災の震源域の東側で、マグニチュード(M)8級の巨大地震が発生する可能性が
高いとして、複数の研究機関が分析を進めている。
 日本海溝の東側で海のプレート(岩板)が引っ張られる力が強くなっているためで、
早ければ1か月以内に津波を伴う地震が再来する危険がある。
 M9・0の東日本大震災は、押し合っていた海のプレートと陸のプレートの境界面が破壊されて
起きた。そのため周辺の地殻にかかる力が変化し、東日本全体で地震が誘発されている。
 京都大防災研究所の遠田晋次准教授(地震地質学)は全地球測位システム(GPS)の
測定データから、海のプレート内部で引っ張られる力が強くなっていることを突き止めた。
明治三陸地震(1896年)の37年後、昭和三陸地震を起こしたメカニズムと共通しているという。
「今、昭和三陸規模の地震が起きると、仙台市で10メートルの津波が押し寄せる計算になる」と言う。

本震から1ヶ月経って尚、強い余震が続いています。震災はまだ東日本で進行中の事象です。
僕が書いているのは今回の震災の反省ではなく、いま為すべき対策だと考えています。
特に今回は会社編ということで、BCP―事業継続計画的側面のポイントも記述します。
<会社編:その1> ※自宅編と重なる部分は省略します。
・バックオフィス系のデータは複数のWeb上でバックアップを取る。
 →そもそも弊社では、全社員にNドライブでのデータバックアップをさせています。
 →会社にはバックアップ用の外付けHDDがありますが、更新頻度は低く、かつ物理的にオフィスに
  あるものですから、震災発生時にそれを持って逃げるなど不可能でした。
 →特に財務・総務・労務系のデータを喪失すると、「平時」に戻ることすら難しくなります。
 →震災後、僕はNドライブに加えてSkydriveにもバックアップを置く準備を進めています。
・業務系データはメールでバックアップするのが楽。
 →とは言え、日々進行する業務案件の書類全てを最新の状態でバックアップするのも大変です。
  そこで僕の場合は、取引先にメールで書類を送る場合、全て自分のアドレスをcc/Bccに入れます。
 →その上で、WebメールサービスのPOPアカウントに自分のアドレスを入れ、
  自動でバックアップするようにしています。
  現在は、Gmail、Yahoo!メール、Hotmailの3つのWebメールでバックアップしています。
 →その為、PCのメーラーの設定は「サーバにメッセージのコピーを置く」にしておき
  数日置きにサーバから削除するようにもしています。
 →これをしておけば、Webストレージ上でのデータバックアップの分量が随分減る筈です。
・編集中/執筆中のデータはUSBメモリなどに同時バックアップ。
 →僕は番組の編集や原稿の執筆など、長時間作業するデータを多く取り扱います。
  これらはデータサイズが巨大だったり、頻繁にバックアップする時間的余裕が無い場合があります。
 →そこでこの手のデータは、PCにUSBメモリ(僕は自分の鍵の束にキーホルダーとして付けています)
  を挿しておいて、作業がある程度進捗したところで随時バックアップを取ります。
 →鍵の束にUSBメモリを付けておけば、避難時なども忘れることが無いので比較的安心です。
・やはりモバイルノートPCは役立つ。
 →スマートフォンやタブレット端末は、平時に通常業務の補助的役割で使用するには便利ですが
  やはり会社での業務継続が困難になった場合はモバイルノートPCがあった方が便利です。
 →弊社では、全社員にモバイルノートを支給していますが、これとWebストレージを組み合わせれば
  或る程度の業務までは社外作業でも対応可能となります。
 →これは<会社編:その2>として後日詳しくお話しますが、弊社はオフィスでの安全な業務を
  保証出来ないため、現在僕以外の社員は基本的に出社を控えるように指示しています。
  そのような勤務形態にスムーズに、即時変更するためにも、ご検討をお勧めします。
・Skype In/Outが想像以上に役立った。
 →僕は自分のPCにSkypeをインストールし、尚且つSkype In/Outも契約しています。
  つまり、PCを電話機代わりにできるようにしています。これが役立ちました。
 →震災発生の日、携帯電話網が大混乱する中、Skypeなら繋がるという事象が多かったのです。
  特に、弊社には岩手県一関市出身の社員が居り、ご家族の安否確認が全く出来なかったのですが
  Skypeから一関の固定電話には繋がったのです。当日に被災地の電話に繋がったのは
  凄いなと思いました。
 →また、携帯/PC共にメールは比較的震災発生直後でも使えたので
  緊急連絡先にSkype Inの電話番号(050で始まる番号です)をメールで連絡し、
  電話連絡が必要な場合はここにかけるように、と伝えることも出来ます。
  オフィスから避難していても、これならノートPCがあれば通話が可能になります。
・社員連絡網は携帯だけでなくメール等でも用意。
 →3/11当日、僕は社外に居た全社員の安否確認に非常に難儀しました。
  途中まで只管携帯電話にかけようとしていたのです。
 →途中で気付いてメールでの連絡に切り替えたところ、そこからようやく確認が出来始めました。
  また、Twitterなどを安否確認の掲示板代わりに使った人も多かったようです。
  実際混雑はしていたものの、Webはそれなりに使えましたからね。
 →その後社員と相談して、全員で共有しているGoogleカレンダーを効果的に使えないかという
  アイディアが出ました。確かにそれはいいアイディアだと思っています。
  サイボウズなどの携帯にも対応したグループウェアもいいかもしれません。
長くなったので、今夜はここまでにしようと思います。
ちなみに冒頭の写真は、弊社オフィスの天井からビニール紐で乾電池を吊るした「簡易地震計」です。
最初はオフィスに揺れを目視するものが何も無いから…と半分冗談で設置したのですが
最近は僕も含め地震酔いが収まらず、揺れているのかそうでないのかの判断がつかないことや
ヘッドフォンを付け、ラジオを止めて編集作業をしているときなどの確認手段として重宝しています。
特に先週後半以降、強い余震が続いて以降は、これを頻繁に確認しています。
首都圏でも、かなり地震酔いでストレスを溜めている方も多いようですので、ご参考までに。
この後は、<会社編:その2><避難編>と続けていこうと考えています。
それではまた。

個人的震災対策メモ(自宅編)

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今日届いたダイナモラジオ。これで2台目。
LED懐中電灯・携帯充電機能・方位磁針・サイレン機能などが満載されていますが
肝心のラジオが全然ダメ(涙)なので商品名等はご案内しません。

さて、元々僕は地震が大嫌いなので
これまでにも結構防災対策には余念が無かったのですが
今回の東日本大震災と一連の余震を受け、皆様に役立つかどうかは別として
個人的な震災対策メモを書いておこうと思います。長くなりそうなので章分けします。
<自宅編>
・最低一部屋は「セイフティルーム」とする。
 →我が家は寝室をセイフティルームとし、倒れるような家具は一切置いていません。
  緊急地震速報や、それに続く大きな揺れが発生した場合はそこに移動するようにしています。
  「ここなら大丈夫」と思える場所があるだけで、精神的には楽です。
  特に今回の震災のように、長くストレス環境下に置かれる場合は尚更です。
・セイフティルームに置くもの
 →ラジオ(電池式・ダイナモ式)…ダイナモ式は携帯充電機能・懐中電灯機能を持ったものが良い。
 →ラジオは予めNHK-R1に合わせておくと、慌てずに済みます。各地の周波数はこちら
 →懐中電灯…時々点灯試験をすること。我が家は震災当日、2つあったうちの一つが使えませんでした。
 →蝋燭、蝋燭を置くためのトレイ、ライター(それぞれ複数)…但し臨時用。火災に注意。
 →各種電池(ラジオ用、携帯充電器用など)…我が家はエネループ&充電器も用意しています。
 →着替え…動きやすいもの、素早く着られるもの。
 →その他ペットボトルの水や軍手なども置いています。
※我が家は震災当日、かなり長い時間停電しました。その時に、暗闇でも懐中電灯の場所が
 分かるようにしておくのは大切だと痛感しました。ところが電池が無くてその後難儀しました。
 真っ暗な中でこれら必要なツールを探すのは大変です。すぐ取り出せるところに置くようにしましょう。
 2004年の中越地震の取材の時に被災者の方に伺ったのですが、「ラジオがどこにあるか忘れていた。
 やっと思い出して取り出したら、電池が切れていた」という証言がありました。
 そのことからダイナモ式(自家発電)ラジオを用意しておいたのですが、3/11は大活躍しました。
・非常持ち出し袋は玄関そばに。
 →我が家はひとり一つずつ、非常持ち出し袋を用意しています。
  中越の時には、震災発生後2日で充分な救援物資が届いたとのことでしたが、
  今回の東北では津波の影響もあり、物資が届くまでかなりの時間を要しました。
  そのことから、4日間の栄養/水分を確保できるように食料等は構成しています。
・放送に常に触れておくこと。
 →現在は、就寝時もラジオを小さくつけています。ここまで余震が頻繁だと、緊急地震速報が
  鳴るだけで充分に慌てず対応出来ます。精神的にも随分楽です。
 →これに加え、僕は自宅に居る間はほぼPCを立ち上げっ放しなので、Google Chromeの
  緊急地震速報エクステンションをインストールしています。
  これが非常に役立ちます。概ねTVより2秒程度早くポップアップします。
・もちろん、家具には制震/耐震グッズを。
 →リビングの書架など、背の高い家具には当然つっぱり棒を複数入れています。
  ところが、3/11の本震で軒並みユルユルになりました。適宜締め直す必要があります。
・携帯電話の充電池を鞄の中に。
 →3/11の本震直後、会社そばのコンビニでふと思いついて携帯の充電池(乾電池を使うもの)を
  購入したのですが、僅か1時間後にはどのコンビにでも売切れていました。
  通話規制による頻繁なリダイヤル、ワンセグやTwitter等による情報収集などで、携帯の電池は
  あっという間に無くなります。その時にちゃんと電源を確保することは大切です。
・セイフティルームに通じる扉は締め切らない。
 →我が家は、リビングと寝室の間の廊下に扉があるのですが、先日大きな余震が発生した際
  この扉が軋みによって(揺れている間だけ)一瞬動きが渋くなりました。
  最悪扉が開かなくなった場合のことを考えると、このような頻繁に大きな揺れが来る間は
  扉は締め切らず、必ず開放できるようにした方がいいかもしれません。
・コレクションボックスは安全な場所に
 →我が家の大切な大切なコレクションボックスも、いまは場所を移動しています(笑)
  元々は書架のコレクション棚にディスプレイしていたのですが、現在はTV台の下に避難させています。
  我が家のTVボードは部屋の幅に合わせて用意した、広く低い台なので極めて安定しています。
  ここなら、仮に天井が落ちても大丈夫な筈。これは個人的には大切なことです。
…ということで、今回は自宅編をお届けしました。
次回は「オフィス編」として、BCP(Business Continuity Plan / 事業継続計画)的な側面も踏まえて
僕の個人的な対策をご紹介したいと思います。

10回目。

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画像はクリックで拡大します。

30歳を過ぎるまで、福岡で生まれ、育ち、働いていた僕。
僕が上京してきたのは、2002年の3月28日。
最初の会社で、東京支社に転勤を命じられてのものでした。
それから9年。もう10回目の春を迎えました。
住む街も、働く場所も、仕事の立ち位置も、向き合う人々も
この間、大きく変化しました。
これからもその変化は続くのでしょう。
福岡で生きていきたいと願っていた僕が、仕事を続ける中で
次第に東京で仕事をしてみたいと思うようになったように
僕が僕として生きていく限り、その変化は止まらないはず。
東京の春は晴れの日が多く、空の蒼さがとても綺麗。
桜も本当に素晴らしいですね。
この写真は、会社の直ぐ傍で撮ったものです。
地震のこととか、会社のこととか、個人的ないろいろがあって
今年の桜は、複雑な気持ちで見上げていますが
来年は、素直にその美しさと共に、新しい季節の到来を喜べますように。

18years.

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別に視力が悪くなった訳では無いですが。
しかし老けたなぁ。

さあ、4月になりました。
新年度ということで、新しい会社・新しい部署・新しい街・新しい学校など
様々な局面で、新しいライフステージに突入された方が多いのではないでしょうか。
年度終わりに未曾有の震災が発生したことで、大変なご苦労をなさっている方も多いと思いますが
今日はどうか「前を向く日」を共に過ごせるよう、お祈りしております。
TwitterのTLを眺めていたら、お取引先の方が「今日から5年目」と書いていらしたので
自分はそういえば何年目だ?と指折り数えてみたら、なんと19年目でした。
もう18年間も働いているのかー。
1993年の4月1日、福岡市中央区長浜の空はとても青くて広くて
九州朝日放送の鉄塔の先を見つめながら、頑張るぞー!と意気込んでいたのが
ついこの間のような気がします。今日の青山の空は、あの日と同じように青くて広いです。
あれから18年で、住む街も働く会社もしている仕事も見た目も(笑)変わってしまったけれど
自分の中味はどう変わったのだろう、と考えています。
自分自身では変わっていないつもりでも、傍から見たら違うかもしれないですし…。
仕事の技能とか、その処し方は多少なりとも進化したでしょうが
仕事に対する情熱は自分のなかで、あの頃のように燃え盛っているか?と自問しています。
一方で、悪いところは変わって無いな、とも反省しています。
いちばんダメなのが、人との接し方。相変わらずその辺は不出来なままです。
もっと大人にならなきゃいけないし、その為にも心の持ち方を進化させなくちゃいけない。
始まりの日は、過去を反省するいい機会でもありますね。
いつまでも澱みない姿勢で自分の人生を送ることができるように
考えながら今日を過ごそうと思います。

ここ数日考えていること。

人類(ホモ・サピエンス)がこの地球上に出現してから25万年ほど経っているそうです。
その中で最大のトピックといえば、火と道具、言葉の使用ではないかと考えています。
しかし、25万年経ってさえ、実は私たちはそれらを完全に御することが出来ません。
火は自然に在ったものから自ら起こすものとなり、今や原子の火を使っているけれど
実は人間は、自然発生の山火事や、不始末の焚き火すら容易には消せません。
道具は、棒っきれ一本から始まり、今や宇宙にまで進出できるほど進化したけれど
人はひとつの石で死に、一本の棒で殺されてしまうことがあります。
言葉は人々に智恵と歴史を授け、今や自宅に居ながら世界のあらゆる情報を集めることが出来ますが
短い言葉一つで戸惑い、誤り、混乱し、社会が崩壊することすらあります。
人類はその能力故に、その能力以上のものを使う唯一の存在として、地球上に君臨しています。
そしていつか人類は、その御しきれぬ力で、自らを滅ぼしてしまうのかもしれません。
それを避けるには、自己の能力を過信せず
常に畏怖と慎重を忘れてはならないのだろう、と考えています。
原子力発電所を運用する時も、自らの統治者を選択する時も、自らの言葉をネットワークに乗せる時も
その畏怖と慎重を忘れずに居なければいけないのでしょう。
我々は、弱く儚い存在であることを自覚し
その上で、与えられた能力を過信することなく存在しなければならない。
いま進行中の事象の幾つもが、共通してその課題を我々に突きつけているように感じています。


昔一緒に番組をやっていたアーティスト・竹仲絵理さんが
今回の震災の被災者の方々に向けて楽曲を創りました。ぜひ聴いて下さい。

2週間。

震災から二週間が経過しました。
今日は久し振りに余震の無い一日でした。
この二週間、
自分の死生観とか、仕事観とか、メディアのこととか、コミュニケーションのこととか
秩序とか、倫理とか、人間観とか、物凄い量の思考が頭を駆け巡っています。
その散逸した思考は、ほぼ一定の方向を向いているのですが
まだ言葉としてまとまっていません。
ただ、一つだけ言えることは
この未曾有の事態は、ひとが「毎日を生きる」という
一見なんでもないようなことに、真剣に向き合える機会になっているということ。
日々の心の揺らぎを見逃さず、あらゆるものと接した時の感覚を鋭く自覚して
これからも続く毎日への糧にしたい、と心から思います。


今日聴いていた曲。いい唄です。

Keep Cool

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震災発生直後の弊社事務所と、節電により暗い木曜19時の青山通り。
もちろん今は事務所も綺麗に片付いています。

まず、今回の東北太平洋沖大地震により失われた多数の命に対し、そのご冥福をお祈りし
被災者の皆様の一刻も早い安全・安心の確保と、被災地の復興をお祈りいたします。
さて、東北太平洋沖大地震が発生して以降2回目の週末を迎えました。
会社的には、事務所は物が引っくり返って滅茶苦茶になりましたが、幸い人的被害は無く
翌日から業務を再開しています。業務案件の延期や中止による減収は厳しい水準ですが
現時点での試算ではなんとかなりそうですし、東京商工会議所さんなどが支援する旨
ご連絡を下さっています。
(中小企業の皆さん、震災に起因する資金繰りなどの問題は商工会に相談されることを
お勧めします。弊社もそうですが、会議所の会員である必要はありません。)
個人的には、自宅はウクレレと写真立てが引っくり返った以外は被害なし。
計画停電や物不足、ガソリン不足などは確かにありますが
被災地の方々のご苦難を思えば、そんなものは取るに足らない些事です。
既に英会話やウォーキングも再開し、仕事の締切を気にする毎日に戻っています。
ご心配頂いた方々、ありがとうございました。
そんな中、いまとても気になっているのが「怪情報の流布」についてです。
これについては、Twitterで書いたものを補筆・再編集して下記に記します。
最近僕の周りにも、チェーンメールや怪しげな情報に強く反応し、
大掛かりな行動を取ってしまう人が居ます。
残念ながら、どれだけ「その情報はヘンだよ」と指摘しても
次から次に新しい怪情報を仕入れてくるので、僕は途中から彼へのアドバイスを止めました。
最初彼がチェーンメールを回してきた時、その情報が誤っていることを
報道記事を引用して返信したのですが、彼は自分がチェーンメールを送った人に対して
「さっきの情報は間違っていた。証拠はこの記事。で、一方こういう情報があります…」と
情報修正のメールに、また別の怪しげな情報がくっついている始末だったのです。
確かに政府や東電などの関係諸機関が、全ての情報を公表しているかは分かりません。
ただその様子を拡大解釈し、政府やマスコミは事実を隠蔽している!と判断し、
本来彼らより遥かに信用度が劣る出所の怪しげな情報を信じてしまうのは非常に危険ですし、
驚くべきことです。
僕が今日までに得た怪情報は、軒並み尤もらしい「出所」が付いています。
曰く某大手新聞社の人。某大企業の社長。某官庁などなど…
じゃあ、その新聞社の人や企業の社長から直接話を聴いたのか、というとそうではなく
全て伝聞なのです。でもそこに信憑性を預託する人のなんと多いことか。
冷静に考えれば、その矛盾した思考に気付くはずなのですが、
この非常時…特に恐怖が伴う状態では、そうなるのも或る意味首肯できます。
彼らは良かれと思って怪情報を流布し、行動してしまう。
その根源に悪意はなく、それ故に心苦しい気持ちがします。
また怪情報に反応する人の多くは、それが煽る恐怖の根源について殆ど調べ物をしていない
傾向を感じます。ある怪情報には、原発のメルトダウンの可能性が80%…という記述が
ありますが、そもそもメルトダウンという状態は何を指すのか。放射線とはどんなものか。
それを調べないんですね。
別にプロ並みの勉強をしなくても、日本原子力学会日本放射線技術学会などが出している
一般向け解説を読むだけでもいい。それだけで過剰な恐怖は無用(勿論しかるべき用心や
対策は必要ですが)と分かるのです。
でもそれは調べずに、根拠不明の情報に引き摺られてしまう。とても残念です。
(ただこれに関しては、僕も「安心したい」との想いから、根拠不明の情報を
ツイートするなどしたので、大いに自省・自制が必要であると考えています。)
今朝、僕のごく親しい人物が西に疎開しました。その根拠が書かれたメールを見て、
Webの発達が齎した「玉石混交の情報の瞬時の伝播」の怖さと
「正しい情報、信頼できる情報を探すリテラシー」の大切さを感じています。
でもそれは、既に怪情報の虜である彼には伝わらないのです。
僕は彼の疎開を否定はしません。行動自体はより安全な方策ではあるからです。
ただそれが、量的な飽和…つまり多数の人々によるパニックにならないことを祈っています。
正しい情報を得る努力を前提として、いま数多流通する怪情報と向き合って欲しいと
思います。
家族を守るため、自分を守るため、恐怖感を持って慎重に行動することは大切です。
ただその恐怖はコントロールできなければいけません。
適度な緊張や恐怖は、能動的な対処を促し、必要充分な対策の原動力になると思いますが
恐怖に乗っ取られてしまうと、過剰且つ不要な行動になってしまうような気がします。
これは、いま首都圏で繰り広げられている買占め騒動と同じことかもしれませんね。
少なくとも首都圏はそこまで危険な状態ではない、と僕は考えています。
そこでパニックになるよりも、本当の被災地である東北の人々に、充分な救援物資と
暖かく、安心して休息できる場所を提供することの方が遥かに大切です。
皆さん、冷静に考え、正しい情報を集め、適切に行動できるように一緒に頑張りましょう。

最後に、希望を感じる歌をひとつご紹介します。
歌詞はこちらです。
皆さん、どんなに暗い夜にも、必ず夜明けは来ます。
春も、もうそこまで来ていますよ。
【以下はまったくの余談】

“Keep Cool” の続きを読む

40歳だからこそ

新しいことを始めてみよう!と最近考えています。
ダイエットは開始から3ヶ月。目標の下方(?)修正を2回行い、
減量幅は過去最大の16kg(30歳の頃)を越える勢いです。
併せてウォーキングは既に1ヶ月ほどになり、次第に自分の生活に溶け込んでいます。
また昨日はある方にお願いしていた花押(かおう)が届きました。
これを今後、署名時に使おうかななんて考えています。

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自分で書いてみました。
まあ、当面は宅配便の受け取り位にしか使えませんが。

ダイエットが当初懸念していたより続いているからでしょうか
何となく、いま始めるものはちゃんと三日坊主にならずに続けられそうな気がするので
今日からは遂に数年来の懸念であった英会話を始めました。
ECCやイーオンなどの大手はちょっと経済的に気が引けたので、最近話題になっている
オンライン英会話の「ラングリッチ」でトライ。
Skype経由とは言え、マンツーマンのレッスンはなんとなく気恥ずかしさがありますが
今年こそは英語が喋れるように頑張りたいと思います。
ちなみにオンライン英会話は最近、
1.大手のマンツーマン(高い・サポート充実・しっかり喋れる)
2.大手のグループレッスン(まあまあ安い・サポート充実・余り喋れない)
3.新興系のマンツーマン(激安・Skype経由でフィリピン人講師に学ぶ・喋れる)

…という3つの系統に分かれています。
これまでは「フィリピン人の先生だと、タガログ語訛りの英語なんじゃないの?」とか
ピジン・イングリッシュになるのでは?」なんて思っていたのですが、
現在発売中の「日経トレンディ」4月号の記事を読んで、とりあえずやってみっか…と
取り掛かった次第です。
当面はこれで頑張ってみようと思います。
なんだか随分欲張りになってしまったような気もしますが
40代になっても、ちゃんと進化できる自分でありたいと思っているので
その分頑張らなきゃなと考えています。
それぞれの結果がどうなるか…皆さんに笑われないように、気を引き締めましょう!

Walk, Don’t run.


これが今日の記録。ちょっと頑張りました。

さて最近、週5日くらいのペースでウォーキングをしています。
昨年12月から始めたダイエットが、食事療法だけでは効果に限界が見えてきたので
ならば運動も頑張ってみるか…と始めたのですが、結構ハマっています。
最初は一回に付き2km程だったのが、5km、7kmと延びていって
最近は平日が平均8km、休日は10kmを越える日が一日はあるようにしています。
僕は元々、理想体重を22kg(!)もオーバーするモノグサ太郎ですから
正直、ウォーキングも三日坊主で終わってしまうのではないかと思っていました。
それがこんなに続くのはなんでだろう?と今日歩きながら考えてみたのですが
・毎日コースを変えてみる。(殆ど同じルートは通りません)
・往還ではなく、「一筆書き」のコースを設定する。
・シューズはちゃんとしたものを履く。
・中途半端な休憩なら取らない。(基本休憩は取りません。水分も取りません。)
・ウォーキング後の計量とルートの記録が楽しみ。
こんなとこかなー、と。
それと何と言っても、ジョギングにしなかったことも大きかったと思うのです。
ひねもすのたりのたりかな…を地で行っていた毎日から急には変われませんから
いきなり走るのではなく、まずはウォーキングでという消極的な姿勢(笑)が功を奏した様子。
7km程度だと、「最後の1kmくらいは走ろうかな」と思うこともあるのですが
そこはグッと押さえて、淡々とウォーキングペース(約6km/h)を維持しています。
そして充分な体力を付け、且つそれを維持拡大できるようになったら走ろうかなと思っています。
考えてみたら、これは経営にも通じるかも…なんて思ったのですが
そこは考えるのは止めました(笑)
歩いている間はほぼ無心。一日1時間から2時間くらいの間、無念無想になれるのは
或る意味貴重ですから、この時間は頭をカラッポにしようと思います。
その分、オンタイムはしっかり考えないといけませんね。
歩き終わって「疲れたー」なんてグダグダしてたら何の意味もないからなぁ。
おかげさまで体重も14kgほど落ちました。目標まであと3kgほど。
その後もその体重を維持できるように、ウォーキングは習慣にしたいと思います。

あけましておめでとうございます。

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会社の年賀状です。
今年は個人としては欠礼させて頂いて居ります。

あけましておめでとうございます。平成23年・2011年になりましたね。
旧年中は大変お世話になりました。
新しい一年も、何卒宜しくお願い申し上げます。
今年の目標は、個人・社業を分けず、シンプルに「社業の上昇」としました。
昨年の目標を何ら達成できなかった不明を恥じ、全力を尽くさねばならないと考えています。
景況や産業構造が低迷していたとしても、それを理由に不振を甘受することは出来ません。
必至の意気で、仕事に邁進する一年にしたいと思います。
社業の上昇あってこその個人の生活だと心得ます。
どうか皆様。本年も何卒宜しくお願い申し上げます。
一所懸命・一生懸命頑張りますので、倍旧のご高配を賜りますよう
心よりお願い申し上げます!