当初予定されていた役員合宿が来週に延期になり、ヒマになった週末。
(せっかく筑波の体験走行会諦めて、会社の若いアンちゃんに権利譲ったのに・・・)
仕方がないので、先日読み返した「地下鉄に乗って」の映画版DVDを借りてきて観た。
売り上げランキング: 241
もとより「鉄道員(ぽっぽや)」の時に失望していたので、期待はしていなかったが
それにしたって今回の映画も酷すぎた。
原作は3時間もあれば読めてしまう小品だが、浅田次郎一流の巧みなプロットが
随所に配されており、読者はそのプロットが一気に集約されるクライマックスに向かって
ぐいぐい引き込まれるのが特徴。
ところが、映画では主に時間的な制約により、そのプロットを一部省かなければならない。
この制約が、浅田次郎の原作を非常に陳腐な映像にしてしまっている。
これから原作・映画版を観る方もいるだろうから詳細は省くが、これだけは云いたい!
・そもそも、原作において「父を赦す」真次の心境は存在しないし、必要も無い。
・飽くまで大事なのは、みち子の余りに切ない想いに最後に気付くことのなのに・・・。
・東京メトロの特別協力を仰いだからとは云え、昭一の死因を変えてしまったのはあんまり。
・結果、母親の位置付けや重みが一切無くなり、真次の女房も只の端役になっちゃった。
・駅の出口が現在と過去を結ぶゲートウェイなのに、そのポイントが全くボケている。
・圭三はカッコよくちゃダメ。飽くまで「逃げ遅れ」の弱さと優しさが必要。
・大正期の銀座のシーンを省いたことにより、佐吉の地下鉄へのこだわりが全く見えなくなった。
他にも云いたいことは沢山あるが、最も酷かったのは最後のバー・アムールのシーン。
佐吉の「俺は何てことをしてしまったんだ」という台詞は許せない。あれは原作の
「俺が何をしたっていうんだ」という言葉の裏にある、逃れえぬ悔悟をしっかり見せて欲しかった。
あと、何で銀座のPXでカメラを買うシーンが砂糖を買う話になったんだろうなぁ。
和光やライカなどの具体的な企業名がまずかったのかなぁ。それとも米軍の脱走兵かなぁ。
(今思ったけど、映画撮影中にジェンキンス氏のことがあったのかしらん?)
あそこでお時が真次の「何か」に気付くっていう良いシーンがあるんだがなぁ。
みち子役の岡本綾の好演と、Salyuが歌う主題歌「プラットフォーム」の出来が良いだけに
脚本の拙さが非常に残念。映画化が難しい浅田作品とは言えど、もう少し何とかしようが
あったのじゃないだろうか。
もしプロデューサーが原作を本当に好きであったのならば、こんな作品にはならなかったと思う。
なーんか不真面目なんだよなぁ。。。
【追伸】
今日から、FM Salusで番組が始まりました。
家で聴いたんだけど、凄いヘンな気分でした…。