とうとうここまで来たか。

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本文とは関係ありませんが、デジカメで撮ったよシリーズ。
ハミルトンのマウント・ヴァーノンです。
Valjoux7750のローターがぶりんぶりん廻る感覚が非常に楽しい一本です。

今日はブログ更新のネタは特に無いね…と思っていたら
Yahoo!ニュースに驚きの記事が出ておりました。以下引用します。
<朝日新聞>大分、佐賀県で夕刊廃止 3月末で(毎日新聞)
朝日新聞社は大分、佐賀両県で発行している夕刊を3月末で廃止する。
10日付朝刊の社告で発表した。「読者のライフスタイルや要望の変化」に伴う対応で、
夕刊掲載のコラムなどは朝刊に掲載するとしている。日本ABC協会によると、
同社の両県の夕刊部数は昨年12月現在で、大分県4679部、佐賀県765部。
                               (引用は以上です)
驚いたのは天下(部数的な意味です)の朝日新聞が夕刊を廃止すること、ではなく
現時点での大分と佐賀の夕刊発行部数です。
佐賀の765部って…フリーペーパーよりも酷い数字ではないでしょうか。
確かに九州は、ブロック紙の西日本新聞や県紙が強い土地ではあるのでしょうが
それにしたってこの数字は事業として成立するものではないでしょう。
広告不況に喘ぐ4マス(TV・新聞・雑誌・ラジオ)の中でも、新聞はかなり厳しい状況ですが
その衰退の原因は、記事中にある「読者のライフスタイルや要望の変化」だけでは
ないのではないかと考えています。
この記事を書いたのも新聞記者さんですから、そのように結論付けたいのかもしれませんが。
ネットが発達してメディア状況が大きく変化したものの要因に、「世論のクラスター化と高速伝播」が
あるのではないかと僕は個人的に推測しています。
新聞、或いはメディアが「代弁する世論」は、かつてマスの意思として受け止められ、
且つマスはその「代弁された世論」に意思を影響されるという相互関係にあったのではないかと。
ところがネット上で見知らぬ人々がニュースを議論できるようになると、
実は「マスの世論(サイレント・マジョリティ)」は観念的な存在でしかなく、
「サイレント・マイノリティ」-この場合は、数量ではなく観念的な対義語として-の発言が
目立つようになり、「世論のクラスター化」が起きたと考えます。
しかもそれがブログやTwitter、コミュニティサイトなどで高速伝播すれば、
「マスの世論」が形成される前に対立、或いは分化する意見として存在感を出していく-。
結果何が起きるかというと、マスの世論に違和感を感じるサイレント・マイノリティが
自身の感覚を確定させやすくなるので、メディアへの懐疑心・反発感を持ってしまうんですね。
ちなみにここでサイレント・マイノリティはラウド・マイノリティに変化するとも考えられます。
民主主義の下僕として、権力機構のチェック機関である筈のメディアが充分に信任されない。
その結果としての「新聞離れ」「TV離れ」「メディア離れ」が起きているように思えます。
少数意見が無視されない、このようなネット上の議論の拡大は歓迎すべきだと思いますが、
一方でマジョリティとマイノリティ(或いは対立する概念)の数的比較はネット上では
出来ないことにも留意すべきです。ネット上で目立つ意見が真のマジョリティとは限らないんですね。
例えば世代ごとのネットのリテラシーの差は当然織り込む必要がありますよね。
(…とは言え、PCのネットユーザーは40-60代が一番多かったりするんですが)
そこを例えば数値化・可視化できるチャンスが、株価だったり選挙結果だったりするのでしょう。
その意味で、これまで以上に市場や選挙の価値や意味は重くなるような気がします。
そして、自立した価値観を持ったという矜持があるのなら、それらに積極的に参加することが
ひとりひとりに求められるように思います。
長々と書きましたが、今後メディアはその部分を留意する必要があり、
また権力を持つ人々は、世論を操作するという意図を実現し得ない時代になったことを
意識する必要があると思います。
限りなく黒に近いグレーは黒。
その辺、意識した方がいいと思いますよ…(誰に言ってんだかw)
【拙ブログの関連記事】「情報は人を幸せにできるのか。」(2007年9月11日)