Hands-on

今日、仕事でお付き合いのある「日経ヴェリタス」を読んでいたら
ある企業再生ファンドの上場廃止に関する記事があり、そこから色々調べていた。
企業投資ファンドもベンチャー・キャピタルも、なかなか厳しい時代のようだ。
僕がここ数年、動向を注視している或る企業再生ファンドは「ハンズオン型」なのだが、
彼らのハンズオンとは、どのようなものなのかといつも想像する。
投資先である企業には、それぞれが属する「業界」と、個別の「社風」がある。
MBA的な(或いは市場的な?)ノウハウだけでは、なかなか難しいのではないかと考えている。
そのファンドが、投資先の企業に最初に送りこんだ社長に対して
僕は友人と一緒に、再建提案を持って行ったのだけれど
その社長の業界観や、社風への理解に距離を感じて
こりゃ話が通じないな、と手を引いた。
ファンドは当初、その社長が業界のプロと踏んで起用したのだろうけれど
その世界に棲んでいる僕から観れば、それは残念な人選だったと思う。
その方の力量が不足しているという意味では毛頭なく、
ハンズオンするメンバーとしてはマッチしていないと思ったのだ。
あれから数年が経ち、結果その企業には、ファンドの社長自ら代表取締役として乗り込んでいる。
僕は、これまで二つの放送局に勤務した。
二つ目の放送局を選んだ理由は「キー局であること」と「FM単営局であること」。
これによって僕は、「キー局でもローカル局でも」「AM局でもFM局でも」「単営局でも兼営局でも」
業務経験をさせて貰った。
その上で独立した時点では
業務において「短波局」「インターネット配信」「コミュニティ局」「海外局」の実績を得て、
経営において「従業員から経営者へ」という経験を得た。
また、それぞれのキャリアを通じて「ゼネラリストのスペシャリスト」を目指している。
加えて、ラジオ以外のメディアの仕事にも参加することで、視野を拡げたいと考えている。
なぜこういうキャリアプランを描いているかというと
僕が最初の転職をした2002年の時点で、ラジオという産業がかなり厳しい局面に立っていたから。
ラジオ広告費は、僕がこの業界に入った93年は2,113億あったのだが、転職した02年には1,837億。
そして11年には1,247億まで減っている。(「日本の広告費」/電通
僕がこの業界に入った時には、ラジオ局の倒産なんて想像も出来なかったのに
一昨年には引受先が決まらないまま、名古屋の局が電波を止めてしまった。
だからこそ。そんな時代ゆえに
僕は「スタッフ視点ではなく、マネージャー視点で仕事が出来るようになろう」と考えた。
今はまだ、全く力が及ばないけれど
(それどころか『もうオールドファッションなのでは』と危惧しているのだけれど)
いつか、どこかの放送局にハンズオンしてみたい。
こんな大それたことを考えていると知れたら、
周りの人には笑われるかもしれない、叱られるかもしれない。
でも、この目標は変えたくない。
そうじゃないと、僕は何のために自分の環境を変化させて行ったか解らなくなってしまうから。
ということで
自分の目標の再確認と、将来への挑戦のために
ここでひっそりと、目論見を書いておきます!