「巨人・大鵬・卵焼き」は遠く。

ロンドン五輪まであと10日というのに、一向に盛り上がっていない気がする。
実際広告業界を観てみると、オリンピックイヤーであるにも関わらず
売上が劇的に向上している気配は無い。僕の前職は記者の特派を行わないそうだ。
民放連のラジオ統一企画も、オンエアには触れるものの印象に残るほどではない。
それは当然、景気の動向が最大の原因だと思うが
メディアによるスポーツコンテンツの拡大が直接的には影響しているのかなと考えた。
かつては巨人戦を中心としたプロ野球と高校野球、そして大相撲が絶対的な王道だったのが
バブル期以降、メディアの俎上に乗るスポーツコンテンツは一気に拡大した。
サッカー、格闘技、モータースポーツ、バレーボール、卓球、陸上競技、スケートなどなど。
僕が業務で参加した世界水泳選手権なども華々しかった。
あらゆる競技で(メディア的な視点での)コンテンツ開発が進み、目にする機会が増えた。
僕らは野球や相撲以外にも、ドラマティックで熱い興奮があることを知ったと思う。
沢山のヒーロー・ヒロインが発掘され、人気を集めた。
いま41歳の僕が10歳だった80年ごろは、
フェンシングや体操、卓球やハンマー投げの選手がTVCFで活躍するなんて夢にも思わなかっただろう。
ただ結果として、そのコンテンツ開発は
一般の興味の拡散・細分化を招き、或いは各競技の一番面白いものをザッピングするような
そんな観戦態様を定着させたような気がする。
それは90年代後半からのネット文化の発展と非常に似ている。
スポーツコンテンツは、Push型ではなくPull型の特性を示すようになったと云えないだろうか。
とは言えプロスポーツは、「ほどほどの露出」では広告媒体として機能できないし
(プロ野球に限らず、日本のプロスポーツは企業の広告費への依存度が高めだ)
その主軸となるべき興行だけで利益を上げ、成長を持続することはできない。
プロ野球独立リーグやプロバスケリーグの選手たちは、実際には競技だけで食べることは出来ないし
格闘技は再びマニアのものとなり、F1は地上波で観ることが出来なくなった。
接触者の総数と、その可処分時間/コストは劇的には増えないのだから
コンテンツが増えるぶん、それぞれに集まる人やカネは少なくなっていく。
まして世界各地で日本人選手が活躍すれば、海外の競技までコンテンダーになっていく。
この傾向は、まさにメディアの状況と歩調を合わせたもので、
景気の拡大や技術の進歩によって、メディア市場でのプレイヤーが増加したことが大きいだろう。
4マスなどという言葉は既に死語になり、電波も紙もネットも、大小様々なメディア企業がひしめいている。
「キラーコンテンツ」がそれぞれの命運を握っているが故に
スポーツだけではなく、音楽や芸能、芸術などの各領域で「乱獲」が行われ
素人同然(…というか、まんま素人が活躍することも多い)の「一次発信者」までが
駆り出される場面が増えている。これじゃ本末転倒だ。
一方、その総数や可処分コストに限界があるのは
メディア事業を成立させるもう一方の要素である広告主でも同じことで
「ロングテール」などという言葉とともに、各メディアの収益性は希薄化している。
まして消費動向が長く低迷すれば、広告主も漫然とコストは懸けられない。
この、消費者側と広告主側の数的な限界を軽視したことが
昨今のメディア不況の一番の原因ではないか。
Webのようなプラットフォーム(或いはそれで一定以上代替できてしまう多くのメディア)では
スケールメリットが活かしにくいし
コンテンツの一次発信者が、直接消費者にコンタクトすることも容易になった。
相対的に既存メディアのプレゼンスは低下し続けている。
このような状況で、苦境に喘ぐメディアがどう戦うかというのは
それぞれの冷静な自己分析と対策が為されないと見えてこないと思う。
ただそれは、やはりコンテンツの精度向上と、それに伴うメディアのプレゼンス向上が
主となるべきで、「新しいメディアを更に増やそう」という方向では無いと思う。
これ以上コンテンツと広告費の希薄化を進めて、本当に収益は上がるんだろうか。
莫大な資本投下に対するリターンは得られるのだろうか。
ブルーオーシャンという言葉は、こと国内のメディア事業においては存在しないのではないか。
それ故に、今日(7月17日)の日経夕刊1面を飾った
デジタルラジオ 2014年度に …設備投資、最大1000億円」という見出しは
この世界で20年近く働いてきた一人として、不安を覚えてしまう。
個人的には、メディア市場にはレッドオーシャンしか広がっていないことを確認し
そこでラジオが勝ち抜くために、コンテンツの質的向上を図った上で
類似するメディアを駆逐していくのが一番の早道ではないかと考えている。
「やっぱりラジオだよね」と、消費者にも広告主にも思わせて
他メディアへの流出を最小限に抑え、新規顧客の流入を図るべきなのではないか。
Pull型の時代に、選ばれるメディアを目指さずして
取り敢えず「的」をふたつに増やそうという考えは危険だと感じる。

あと6ヶ月!

0708.jpg

世の中は、上野のパンダの赤ちゃんが話題ですが
個人的には当然、自分のところの子どもが重大関心事です。
予定日までおよそ半年となり、写真を見ると
ずいぶん人間らしい感じになってきたなァなどと驚いたり喜んだりしています。
上記の写真が撮られた検診の時、妻が画面を眺めていたら
両手を上に挙げて「バンザイ」の姿勢をしたそうです。
物凄く、ものすごく観たかった…。
街を歩けば、すれ違う赤ちゃんに目が行ってしまいますし
子どもに関するニュースは、良い話題であれ悪い話題であれ
以前とは違う観点で読んでいます。
また、先日は七夕でしたが
平河天満宮(千代田区)や出雲大社東京分祠(港区)などに立ち寄った際に
数十年ぶりに短冊などを書いたりました。東京メトロ大手町駅なんかでも(笑)
07082.jpg

今までと違う感覚を楽しむ一方で、
これから父親として、どう子どもを慈しみ、育て、護るか
そういうことも考えています。
僕や妻が育った頃とは随分社会の環境も変わりました。
良い変化もありますし、厳しくなっている部分もあります。
それらを子どもの視点に立って、しっかり考えなければいけないなと。
子どもは親を選べませんから
我が家に来てくれたことを幸せだと思って貰えるように
頑張らなきゃいけませんね。

届けサモアへ!

20120620.jpg

さて先日は、金環日食や金星の日面通過などの天文ショーが続きましたが
その時に使った「日食グラス」は、皆さんどうなさいましたか?
実は昨日、Facebookで上記のような告知がシェアされていました。
今年の11月14日に、サモアで部分日食があるそうで
それをサモアの子どもたちに見せてあげたい、と
JICA(国際協力機構)に参加して、当地で頑張っている方が日食グラスを集めているとか。
幸い、我が家にも不要になったけれど綺麗なままのグラスがふたつあったので
早速送りました。仙台市天文台と、この呼びかけ人の方のご自宅?にて受け付けています。
先日の金環日食は、大のおとなの僕でも充分に胸踊るものでした。
まして子どもたちにとって、天文ショーを楽しむことは得難い機会でしょう。
もしお時間・お手間があればご協力頂ければと、僕からもお願い申し上げます。
送付要項などはFacebook内で告知されていて、多数シェアされているのですが
個人の住所などが記載されているので、それをそのまま再掲するのは差し控えます。
お手数ですが、こちらのリンクからご確認ください。
南の島でたくさんの子どもたちが、
貴重な経験を楽しむことができますように!
ちなみにこの企画に賛同したのは、僕がサモア人っぽいからじゃありません。

成長のチカラ。

20120619.jpg
そろそろ革ベルトが厳しい季節ですね。
最近はオーバーシーズやスピードマスターをよく着けています。

さて今日は、人間が成長する原動力について考えています。
僕の回りには、尊敬する人がたくさん居るのですが
その方々の成長の原動力は、やはり個々で違うような気がするんですね。
例えば、努力を努力と思わない、ナチュラルに成長していく人。
こういう方々は自身の成長にもあまり頓着しない。でも傍から観ているととても眩しい。
この手の人びとには敵わないなァ、なんて思ってしまいます。
それから、自尊心を満たすために努力を惜しまない人。
彼らは自分をこうありたい、と定めて、その為の努力は当然と考えています。
こういう人はとにかく強い。多少のことではヘコタレないマッシブな精神を持っています。
そして、反骨精神で頑張る人。
現状への不満を前進する力に替えて、いつか見てろよ!と努力する人。
環境に安住せず、上を目指すその姿勢は、時として息苦しく感じることさえありますが
そのトルクの強さがツボに嵌った時の目覚しい成長は、これまた眩しいのです。
…で、僕はと言うと
残念ながら、「嫉妬心」が原動力という若干情けない感じだと自己分析しています。
常に他者と自分を比較して、その差に嫉妬して、それを解消するために前に進む感じ。
まあ、それでも現状を変えようという力にはなるんですけれどもね。
幸い僕の回りには、凄い人たちがたくさんいるので、嫉妬の対象には困りません(笑)
ちょっとでも彼らに近づき、追い越してみたい。そう思いながら日々過ごしています。
ただ嫉妬を原動力にすると、心が折れることが多いんですよね。
なので絶対におススメできません。
とは言え、この嫉妬心が無いと、途端に努力とか勤勉とかが嫌になっちゃうんだよなぁ(^_^;)
才能もなく、努力への覇気も無い僕は、嫉妬心の強さに感謝しなければいけないかもしれません。
できれば、生まれてくる子どもは
ナチュラルに努力し、成長できる力を持って欲しいと思っています。
僕はその為に、自分を嫉妬まみれにしてでも、しっかりと頑張って環境を作らなければと思います。
三つ子の魂百まで、ではないですが
既に40を越えた自分の成長力は変えられません。
だからこそ、子どもには
素直に、真っ直ぐに前を見つめることができる力を持たせてあげたい、と思っています。

あと7ヶ月で

お父さん、になるようです。
まったく個人的なことで恐縮なのですが
僕にとってはとても大切なことなので、エントリーしちゃいます。
とにかく、健康に生まれてきてさえくれれば。
頑張ります。

新しい地平へ。

20120614.jpg
今日は梅雨の合間の晴れ。
気持ちよかったので、大手町から皇居経由で事務所に歩いて戻りました。

(あ、きょうは完全に独り言です。)
前回のエントリーで、ふと28歳の頃愛聴していた曲を思い出した、と書きました。
街中を歩いている途中で不意に思い出したのですが、それは何故だろうと
今日まで考えていました。
僕は、30歳過ぎまで福岡で生活していたのですが
31歳の時に東京に移って、そこから生活が激変しました。
住む街が変わり、働く場所が変わり、独身から夫婦になり…。
人生の大きな構成要素が、上京前後でガラッと変わってしまったんですね。
断絶、というのは些か過ぎた表現かもしれませんが
福岡にいた頃の僕には、想像も出来なかったであろう毎日を過ごしています。
ただその中で、
20代の頃、心の奥の方に押し込めてしまった幾つかのことについて
意識しているかどうかは別として、処理できていなかったようです。
ものによっては、ついこの間まで色々考えていたことなどもあります。
それは後悔なのか、怒りなのか、諦めなのか、今となっては少し曖昧なのですが
なんにせよ、自分の中では薄暗い場所にある記憶です。
ただ、いよいよ…というか、やっとと云うべきか。
そこからも訣別する時期が来たようです。
僕の人生に、大きな転機が訪れたようなのです。
仕事のこととかじゃないんですが…(^_^;)
ここ数週間、その転機の到来を予感していたからこそ
自分の中に閉じ込めた過去を意識したのだと考えています。
だから、そんな旧い唄を思い出したのではないかと。
その転機に向けて
僕の人生の、新しい地平に向けて
これからはもっともっと頑張らなければいけません。
今からワクワクしています。
この思考のきっかけになった「悲しきクツ音」の歌詞を、もう一度思い出しました。
♪もう帰らない時間 今も思い出すように
 いいことも 悪いことも 忘れたよ♪
過ぎてしまったことは、幸せも悲しみも含めて理解して。
やがて来る、新しい、大きな幸せに向けて
僕はもっと成長しなければいけません。
しっかりと一歩を踏み出します。
俺の人生、まだ楽しみがいっぱいだなぁ!

月食は見えずとも

20120604.jpg
月は、ミッドタウンとヒルズのちょうど中間くらいの位置です。
写真はクリックすると拡大します。

さて、4日は部分月食でしたね。
今回は月の公転軌道の関係で、月が地球に最も接近するタイミングと重なるため、
スーパームーンの月食」だったとのこと。
18時頃から楽しみにしていたのですが、残念ながら厚い雲に阻まれて
月が欠けるさまを眺めることはかないませんでした。
帰りの道すがら、あー、なんとなく欠けてるかな…?くらいには解ったのですが。
ただ、月食の写真を撮ろうと事務所のベランダでデジカメを構えている時に
藍色から黒に染まっていく東京の空だとか
その下に広がる美しい夜景を楽しむことができたので
結果的には、やはり素敵な時間を過ごすことができました。
ともすれば、PCのモニタを睨むばかりで一日が過ぎてしまうことが多いので
このような時間を持てたことは有意義でした。
6日には、これはお昼のイベントですが
金星の日面通過なる天体ショーがあるそうです。
今回を逃すと、次は2117年の12月まで観られないそうですから
(観られないっていうか、生きていられませんなぁ)
先日購入した日食グラスで、もう一度挑戦しようと思います。

日曜深夜の戯言。

人間は、記憶や想像で
自らの精神や肉体までにも影響できる、稀有な生物です。
既に終わったことなのに、それをいつまでも悩んだり、
有りもしない想像でストレスを溜めるなんてことをしてしまいます。
僕のある知人は、お客さんの所に伺う前に
「今日はあのお客、こんなこと言うだろうな。あんなこと言われるだろうな。
でもそれって、そっちのせいじゃんか!許せねぇ!」…などと
ただの予想で腹を立てたりしていましたね。
傍観していると、もう殆どコントなんですが
人のことを笑えるほど、僕は上等な出来ではなくて。
10年以上も前の出来事を思い出して気分が悪くなったり
既に終わったことを態々自分の中で蒸し返して苛立ったりしてしまいます。
それは、時間しか解決できない問題で
少しずつ風化して、少しずつ意識の外へ遠ざかっていき
いつか忘れることだと思うのですが
子供の頃の記憶ならまだしも、大人になってからのそれはなかなか時間が掛かります。
質が悪いのは、なんの意識もしていない時に
不意にその思考のきっかけが飛び込んでくること。
それはある街の通りだったり、見かけた写真だったり、流れてきた音楽だったり…。
それらは当然制御できるものでは無いですから難しい。
年々、時間の経過は加速していくのですが
意識の成長がそれに追いついていないなと感じます。
何か僕の生活環境に、コペルニクス的転回があれば変わるのかもしれませんね。
いま、社会では(特に東日本では)
目に見えない、得体の知れないものに恐怖し、ストレスを溜めている人がたくさん居ます。
その結果、とても感情的になったり、あまつさえ他者を激しく攻撃する人が居ます。
意識するが故に、大きな苦痛を抱えているその姿を痛ましく思いますが
不安に対抗するには、きちんと知る努力と、
得た知識の上でしっかり思考することが大切だと思います。
恐らく科学とは
得体の知れないものを理解し、不安を拭い、健康な意識と思考を獲得するために
進化していくものだと思うのです。
対人的なものは、相手の意識や思考を完全に把握することは出来ませんから
思考や予測には限界がありますが
そうでないもの…言い換えれば、思考することで対処できるものならば
出来れば冷静に判断して、精神的な衛生を保ちたいなと思います。

Eclipse!

20120521.jpg
日食レンズにiPhoneのカメラをくっつけて撮ってみたのですが…

さきほど、金環日食が終わりました。
関東では173年ぶり!…と言われると、やはり見たくなるのが人の性(笑)
Amazonで日食グラスを購入して、きょうは早起きしました。
丁度東の空に厚い雲がかかっており、こりゃ無理かな…と思ったのですが
日食グラスグラス越しに、大きく欠けた太陽を観た時には大興奮。
マンションのあちこちから「すごいねー」だとか「見えてる見えてる!」と
声が上がっていました。
路上でも、通勤の足を止めて空を見上げる人がいましたね。
そして7時30分過ぎ。
まるで黄金の指環のような金環日食。
首が痛くなるのも忘れて、見入ってしまいました。
凄かったなぁ!
驚いたのが、金環日食が近付くに連れて
空が暗くなり、気温が下がっていったこと。
太陽の恩恵を感じた瞬間でした。
ちなみに6月6日には、金星の日面通過なる天文イベントがあるそうで
日食グラスはその時にも活躍できるようです。
本当にいい経験をしました。

決然として。

AtF5uvnCAAIpwJB.jpg

こんな男前、そうそうお目にかかれません。
彼らの決然とした瞳は、何を見据えているのでしょうか。
気高さすら感じさせる眼差し。
こんな眼ができる男になりたいなぁ。