自分に子供がいたら、させてみたい。
さて、アメリカのこんなニュースを見て、色々考えておりました。
郡関係者の謝罪だけでは収まらず 少女のレモネードスタンド閉店騒動(excite-AP)
どうやらアメリカでは、夏休みなどに子どもがレモネード屋台を開くことは
結構ポピュラーなことのようで、これによってお金を稼ぐことの楽しさと大変さを
学ぶのだそうです。(参考:
Wikipedia)
日本でも幼児教育の現場では「お店やさんごっこ」はよく見られるものですが
生産という行為にカタルシスを感じるのは、人間特有のものかもしれませんね。
僕も子供の頃は、生産すること自体を遊びにしていた記憶があります。
自宅の隣の空き地を開墾し、とうもろこしやプチトマトを栽培してみたり(不法占拠)、
ガリ版刷りの新聞を発行し、近所のご家庭のポストに入れて回ったり(不審やなぁ)、
母親に来た飲料配達のパートの話を横取りしたり…。
何かを生産し、その対価を得るという行為に妙に興味が強かった気がします。
もうちょっと分別が付くと、バンドのデモテープを製作して販売したり(儲からなかった)
大学生の頃、勃興期の
ダイヤルQ2を使ったビジネスを考えたり
(もちろんエロに非ず/これは初期費用への資金不足に付き断念…)など
知能や知識の拡大に応じて、その内容も次第に高度化していったような。
僕の場合、これが今のベンチャービジネスの根源になっているのかなぁと考えています。
アメリカでベンチャー出身の企業が高度成長を遂げる例は枚挙に暇がありませんが、
その創業-成長過程に於ける法的・金融的土壌だけでなく、自ら業を興すことについての
社会的・教育的土壌にも注目すべきではないかと考えます。
日本の場合は、親が子に「与えること」…つまり消費についての意識が行き過ぎて、
生産についての教育や興味の醸成、体験が若干不足しているのではないでしょうか。
関係ないかもしれませんが、学校や病院でも殊更に「自分がお客様」であることを強調する
モンスター・ペアレントやモンスター・ペイシェントが増加していることも、
生産より消費に意識が働きすぎた結果ではないかと思うのです。
関連諸法規が改正されて、今や日本は世界でも最も起業しやすい国のひとつになりました。
一方で、ベンチャーに対する民間金融(デット/エクイティ問わず)のハードルの高さは
整備が立ち遅れているように感じますが、同時に生産についての豊かで自由な発想を育み、
それによって経済的自立を図ることの楽しさ、厳しさも教育していく必要があるのかなと考えています。
なんでも今年は、
大学卒業生のうち87,000人が就職・進学しなかったそうですが
最近の就職事情が「職に就く」のではなく、「企業に所属する」ことに意識が集中し、
その他の要因(大学生の増加、企業収益の悪化に伴う新規雇用の抑制、定年延長による
労働人口の入れ替わりの停滞などなど)と併せて、非常に夢の無いものになっているような
気がします。
これだと、なかなか働くことの喜びや生産の楽しみを実感することは難しいですよね。
だからこそ、ベンチャー・スピリット自体を育て、その実現をサポートし
「一度失敗したら再起不能」と言われる国内の起業環境をも修正していくことによって
形こそ違えど、再び働くことを楽しみ、善とできる日本を創っていけないでしょうか。
そんな社会を創るためにも、僕ら現行ベンチャーが頑張らないといけないですね。
企業に「就社」するだけが働き方じゃないよ、という魅力を提案できるように
楽しみながら、そしてしっかり頑張りたいと思います。